ニラニスタ発・蹴球思案処

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日常を問う

日常を問う

 

1日24時間、サッカーに打ち込む時間はどのくらいで、サッカー以外の時間はどれくらいの割合だろうか。本気でサッカーをする時間は長くて3時間とするならば、1日のわずか12.5%の割合に過ぎない。サッカー以外の日常の時間が多くを占めるということは、トレーニング、または試合でのパフォーマンスの不出来は、日常生活の質が大きく影響を及ぼすと言ってよい。

哀しいことに、日常の生活習慣がそのままプレーに出てしまうもので、がんばらなければならない時にがんばれない選手は、日常の生活に甘さがあると言わざるを得ない。またトレーニングに取り組む姿勢も、自らの生活習慣のレベルが高い選手の方が、多くを吸収し上達する。良い選手とダメな選手の差は、日常生活でどれくらい自分に厳しくできるか、目先のつらさに妥協せず流されない生活を送ることができるかである。「誰かが見ているからやる」とか「これをやると評価が上がるから」という本質からかけ離れた日常の行動は、人の見ていないところで努力する選手には絶対に勝てない。小さな積み重ねが、やがて大きな差となって現れる。サッカーがちょっと上手いだけの選手ではなく、指導者や仲間から信頼される選手というのは、日常からしっかりしている。このことは、僕の経験則から実証できる。

生活の乱れは、サッカーのパフォーマンスに直結する。安臭い誘惑になびき、自らが掲げた目標を達成するための行動ではないと少しでも思ったならば、立ち止まって日常を問う時間を作る必要がある。自らが志したサッカーであり、覚悟を決めて打ち込むサッカー生活である。自分が実現したい目標からみて、今の自分はその実現に向けて真っ直ぐに向かっているのか。弱い自分から決別し、厳しい現実に立ち向かっているのか。1つの大きな目標に向かって強い意志を持ってやり抜いているのか。人間は困難(壁)を乗り越えて成長していく生き物である。やろうとする意志があれば、大抵のことはできる。

 

 

人は繰り返し行うことの集大成である

だから優秀さとは、行為ではなく、習慣なのだ

アリストテレス