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山梨学院全国制覇の余韻

山梨学院全国制覇の余韻

 

山梨学院が全国制覇をしてからというもの、本1冊分以上のサッカー記事を読んだ。感動秘話から戦術分析、個人インタビューと勝者と敗者では取り上げ方も対照的であった。敗者が想像以上に惨めだったために、皮肉にも(当然か?)勝者の山梨学院の価値を高める結果となった。

 

 なぜ山梨学院・長谷川監督は「真の日本一になろう」と伝えたのか? 異色の指導歴で手にした武器 | REAL SPORTS (リアルスポーツ) | スポーツの"リアル"を伝える (real-sports.jp)

 

山梨学院を倒すには、まず敵を知らなければならない。敵将を知るあまり、とんでもない敵だと思ってしまう一方で、100%の負けはないと思っている。青森山田と決勝前の横森監督の記事を読むと、「2流が1流に勝つ好機はある」。

 

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夏に韮高-学院のTMを見た。今思えば、自分たちのサッカースタイルを貫くというより、格上格下、あらゆる相手に対して、柔軟にプレースタイルを変え、勝機を見いだすサッカーをしていたと思える。夏には韮高の方が学院よりも良いサッカーをしていたけれど、学院のサッカーはどんなことをしても、選手権で県内を勝ち抜くという一念で、試行錯誤していたようだ。プリンスリーグでは別のチームになったようなサッカーをしていた。監督の意図した戦略、ゲームプランを、選手がピッチで遂行できたことも素晴らしい。そして学院の選手はよく走っていた。

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1年前の新人戦は決勝で学院を倒した。学院の前半のシュートはゼロ。新しい時代の到来かと思ったのは幻想だった。そこからの全国を見据えたチーム作り、スタッフのマネッジメントは見事というほかない。なにより学院は2流ではない。全国を狙うことのできる選手が集まった1流の高校である。そこを自らが謙遜して2流だと言い放ち、強かに全国の強豪を倒していった。

 

先輩が相撲に例えて言っていた。青森山田横綱。学院は前頭筆頭で、うっちゃりで勝利を掴んだようなものだ。それでも勝ちは勝ちである。相撲の番付けで例えると山梨県内では韮高はどの辺りだろうかと思う。学院に10回やって何回勝てるのだろう。100回大会の選手権予選前までには、10回やって5回勝てるチームになることは不可能ではない。学院のチームとしての成長、選手個々の成長を目の当たりにしてきた者は、韮高でもあのような成長速度、総合力のアップは実現可能だと思っている。

 

オフ・ザ・ピッチはオン・ザ・ピッチにおいて、大きなウェイトを占める。とてつもないプレッシャーのかかる試合では特にそうである。サッカーだけがうまい選手の活躍の場は、加速度的になくなりつつある。100回大会が楽しみな99回大会だった。

 

 

『ペレのサッカー』

サッカー本 0074

 

『ペレのサッカー』

 

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著 者 エドソン・ペレ

訳 者 牛木素吉郎、ブラビス・インターナショナル

発行所 講談社

1975年11月30日発行

 

高校時代に買った本である。ちょっと前に紹介した高校時代のサッカー仲間がサッカーを語る時、主語はいつも「ペレは・・・」から始まった。サッカーのプレーの価値基準としてペレの存在が常にあった。30年ぶりに奥の本棚より探し出し再読した。訳者は牛木素吉郎である。僕は長い間、牛木素吉郎がサッカーマガジンで連載していた「ビバ・サッカー」を読むことをいつも楽しみにしていた。まさかこの本の翻訳をしているとは、再発見で純粋にうれしい。

 

本の一番初めのペレの献辞文が趣ある。

アンブロジーナおばさん

私のプレーを見に、一度もグランドへ来たことのない、あなたに

この本を捧げます。

冒頭からペレの生い立ちについて、ペレのお父さんが「わが息子=ペレ」で長い文章を書いている。有名になった選手の父親が文章を寄稿することはめったにない。そしてその子供がペレとなればまた特別である。そしてそれを読むと、ペレのお父さんはどこにでもいるお父さんと一緒で特別なところはない。

 

次に、ペレ本人の「はじめに」が次に登場する。

ときどき、私は考え込んでしまうことがある。自分自身のことについて、われわれを取りまく世界について、また、神について。

われわれは、果たして、人のいうような者であろうか?

ときには、私は、人びとがいうような人間ではない、と考える。

また、あるときには、人びとのいう通りだ、とも思う。

小説の書き出しのように文学的である。

この本の日本語版出版に当たり、サッカーの神様ペレがと特別に書いている「日本のみなさんへ」が続き、この本の協力者であるジュリオ・マゼイ教授の「ペレという人間」があり、ようやく本文へとつながっていく。

 

この本は、文章はもちろんプレーの写真が(キーパーを除いて)すべてペレ本人となっていることが特徴である。リフティングから始まり、パス、ヘディング、シュート、フェイント、ドリブルすべてペレである。とても説得力があり一種、写真集といっても良いくらいの量がある。

またこの本は、世間にたくさんあふれているサッカーの指南書ではない。ペレの人間味が感じられ、基礎技術のポイントもペレ本人の言葉として伝わってくる。ペレの存在そのものがそうさせているかもしれないけれど、この本には深みがあり、重みがあると思う。その一因として、訳者の牛木素吉朗の存在はとても大きい。訳者の牛木素吉朗をさすがと言うほかない本の作り方である。訳者の思い入れもひしひしと伝わってくる。

 

ペレの素直で直接的な言葉は深く突き刺さる。

この解説書を読み、あまり新しいものに出会わないので、がっかりされている方も、いるかも知れない。

サッカーは、本質的に、単純なスポーツである。私たちは、しばしば、この単純さを忘れる。

 

君たちは、私が小学校を終えただけで、サッカーのために学業を中止したことを聞いているだろうと思う。そう。確かにその通りだった。そのころの私には、勉強がどんなに大切か、分からなかったのだ。サッカーがすべてであると、思い込んでいたのだ。いまになって、はじめて母のセレステがいつもいっていた言葉を痛切に理解できるようになった。「ペレ、そのボールをちょっとだけ置いて、宿題をしに来なさい」

君も知っての通り、母の忠告にもかかわらず、私は人生と時間をサッカーのために使った。長い年月を経て、母のいった通りであることが分かった。私は勉強しなければならなかった。サッカーだけでは、じゅうぶんではなかった。そこで私は、中学と高校のコースを検定でとり、大学へ行って体育の過程を修了した。

そういうわけだから、私は君たちに繰り返していいたい。「勉強とスポーツは両立できるし、両方の分野で成功できる。いや、さらにいえば、できるだけではなく、させなければならないのだ!」

 

新人戦組み合わせ

新人戦組み合わせ

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山梨学院が頂点に立った選手権を終えた。すぐに新人戦が始まる。

前年度の新人戦は、韮高が選手権で日本一になった山梨学院を、一番初めの大会の決勝で1-0で倒し優勝をした。

あれから1年、大きく差が開いたのか、それほど差は開いていないのかは分からないけれど、学院にとっては目に見えない大きなアドバンテージがあるような気がする。

勝手ながら、選手権決勝の試合を見終わった後にまず浮かんだことは、星3つになった学院を日本で1番最初に破るのは、(話題性としても)韮高がふさわしいのではないかと思った。優勝した学院が強ければ強いほど倒し甲斐がある。山梨学院が絶対王者なのは揺るぎがなく、韮高の現在地としては、格下の弱者である。悲観するわけではなく、そこから這い上がる力は持ち合わせているし、選手個々の能力を最大限に発揮すれば、それほど力の差はないと思っている。

幸い、学院の優勝で選手たちもさらにモチベーションを上げたようなので心配はしていない。ただ自分たちのサッカーをすれば勝てるわけではなく、学院同様相手を研究することは最低限必要である。スカウティングはとっくに必要最低条件となっていて、移り変わる試合状況においていくつものゲームプランを練らなければならないと思う。理想を目指すサッカーではなく、現実的なサッカーをしなければ、学院を倒すことは絵に描いた餅となる。

日本一になった高校がすぐ近くにあること、そのチームと対戦できるチャンスがあることにまずは感謝することである。そして勇気を出してアクションを起こし、目の前の壁を日々くたくたになりながらも乗り越えなければならない。本当に欲しいものを手に入れることは簡単ではない。苦しさの連続が導くところは、きっと素晴らしい場所である。

 

優勝おめでとう 山梨学院

優勝おめでとう 山梨学院

 

第99回全国高校サッカー選手権大会で、山梨学院が優勝した。

3962校の頂点を極めたのは、山梨県代表の山梨学院だった。まさか生きているうちに、山梨県代表である山梨学院が2回目の日本一になる風景を見ることが出来るとは思ってもいなかった。素直にうれしい。

選手権の優勝旗は富士山の南から北へと移った。優勝旗が、富士山が見える場所に居てくれることは安心する。

何よりも青森山田を倒して優勝したことに価値がある。青森山田は今シーズン公式戦無敗のチームであり、そこに対して静岡学園に続いて2年連続で決勝で蹴散らしたことがうれしさが増す1つである。

 

僕はアンチ青森山田なので、山梨学院が米子北、鹿島学園藤枝明誠矢板中央に負けたとしても、それはそれで負けを素直に受け止めることが出来る。青森山田にいたっては、絶対に負けてはいけない高校である。テレビでの放送も青森山田よりで、先制点を入れられても、最後には青森山田が勝って優勝するシナリオが良いような雰囲気だった。

勝てば官軍なので1つ言わせてもらうと、あの高校のベンチの対応は何なんだと思う。試合中のベンチ前のタッチライン際でのあの振る舞いは、真剣に全力でプレーしている選手に対して失礼極まりないし、高校サッカーをバカにしている。この大会は高校サッカー選手権であって、プロの大会ではない。リスペクトを欠いた行為は、恥ずかしい限りである。全部テレビに映っている。

 

試合の内容に関しては、これからたくさんのサッカージャーナリストやサッカーファンが冷静に、または激しく情報を発信すると思う。楽しみに読んでみたい。個人的には11年前の決勝と同じカードで、その時の先制点が前半11分だったので、1月11日の前半11分、11番の広澤が決めたら何か持っているなと思っていた。テレビを見ていてその瞬間に、山梨学院の先制点が決まった。公式記録は前半12分だったけれど、優勝を引き寄せる大きな1点で、早々とそのまま優勝してしまうのではないかとさえ思った。

もちろんそう簡単にはいかない。同点にされ追加点を奪われた時は、敗戦色が強くなった。さらに突き放されるかと思っていたら、2-2の同点になった。延長でも決着がつかず、PK戦となった時は勝利がかなり近づいたような気がした

青森山田だけには負けてほしくないという思いが伝わり(勝手につながったと思っている)、山梨学院は2回目の日本一となった。

10回戦って1回勝てるかどうかの相手を倒したことは、山梨学院に力があったことに他ならない。コロナの影響で閉塞感に包まれた中での山梨学院の優勝は、山梨県にとってとても大きな力となった。優勝を見届け人は、豊かな気分になったと思うと共に、サッカーの持つ力を改めて感じることができた。

できるならば、スタンドで優勝する瞬間を目にしたかった・・・・。

カンセンしてもカンセンしたかった・・・。

 

 

トンネルの中の日々

トンネルの中の日々

 

この季節(というのは全国高校サッカー選手権の季節なのだけれど)、自らが高校3年間選手として、またはその前後の人生において関わりを持ってきた者にとっては、無意識に体内の何かが動き出し、過去へ、未来へと思いを巡らせるようである。

 

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お宝発見は、この季節特有の懐古主義から生まれる。情報、画像、動画がリアルタイムで共有できる今の時代は驚くばかりである。また多くの人が記録を膨大な量として残すことのできる時代である。昭和の終わりの頃に高校生だった僕らの時代は、写真を撮るということは大会で優勝する事より他はほとんどなかった。だからサッカーをしている写真は全くと言っていいほど残っていない。写真を撮ることは庶民レベルまで達していたものの、サッカーと写真が結び付くことはなかった。そのような時代の中、1枚の貴重な写真が発掘され送られてきた。その画像を見ると知っている顔がたくさんあったので、僕も写っているはずだと思い自分の顔を探した。1回目に見ても自分を探せず、2回目にゆっくりじっくりと見て自分を発見できた。右側に優勝旗があるので、おそらく県総体で優勝をしたときの記念で、後日、韮高グランドで撮ったものである。

 

それにしても、先輩たちは学校で禁止されているパーマらしき髪型をしているし、どこかの不良集団のようである。実際、ユニホーム姿で本当に良かったと思う。喧嘩は半端なく強く、弱い者も強い者もなりふりかまわずやっつけていた。近寄りがたい雰囲気をいまだに感じさせる。当たり前だけれど、横森監督は若い。このメンバーではサッカー以外の私生活で相当手を焼かれたことは間違いなかった。サッカーにおいてはとてつもない潜在能力を持つ逸材がたくさんいた。サッカーセンスは抜群で、本当に上手かった。サッカー選手として素材的には文句なく日本トップクラスだったと思う。当時、そこに身を置いた者から正直に言わせてもらえば、「でもこのチームでは絶対に勝つことはできない」。残念ながら、ここに写っている者が100%に近い確率でそれを断言すると思う。「サッカーは人生の縮図である」という言葉は、そのまま高校3年間の生活で学んだ。その後、ここまで生きながらえているものの、人生が濃縮されすぎているこの3年間以上のものを体験していない。一瞬、「懐かしい」と思っても、次にそこから思い出される様々なことは暗く、哀しいことばかりである。今思い起こしても長い1ヶ月の連続であって、絶対にあっという間ではなかった。トンネルの中の日々と言っていいのだろうか。言葉にならない深いため息の出る写真である。みんながみんなやんちゃで子供だった。根をどっしりと張り切っていない草花は、花を咲かすことができない。

 

選手権の喚起力は繊細でありながらも強烈である。自分の現在地であったり、アイデンティティの再確認であったり、サッカーの持つ世界観を考えたりする。目に入る非日常空間でのゲームは、自分に何をもたらし、どこへ向かわせるのだろうか。あるいは、何か象徴的なメッセージを発しているのかもしれないし、イデオロギー的な部分において何かを啓示しているかもしない。サッカーという行為、現象はどこかしら詩的であり、情緒的であるように思える。