ニラニスタ発・蹴球思案処

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カタールW杯 01

カタールW杯 01

 

カタールW杯が開幕し、あっという間の1週間が経った。サッカーの祭典ふさわしく、強烈な時間が続いている。時間が経つのがあまりに速く、90分がいつもの90分の感覚ではない。

グループリーグが1巡して、すべての代表チームの試合を見ることができた。

スペインのサッカーは見ていて面白い。世界のリーグの中でリーガエスパニョーラを数多く見ているので、ライバルチームの選手が代表のユニホームを着て一緒にピッチに立つ姿は、とても魅惑的である。ガビやペドリがコケ、アセンシオとプレーしているのを目にすることができるのは、幸せ以外の何物でもない。

お気に入りの選手が輝くプレーをすることで、ミーハー的な見方もできる。若手選手がプレーでチームを引っ張る姿は、心が熱くなる。特にゴールシーンは最高である。スペインのガビは19歳、コスタリカ戦でのゴールは難しいシュートだった。

スペインと同様、ブラジルも見ていて幸せを感じる試合である。ライブ観戦しなくても後からゆっくりと見てもワクワクする試合である。セルビア戦でのリシャルリソンのゴールは、現在のナンバー1ゴールであると思う。多くの子どもが真似をしたくなるシュートだった。個人的にはヴィニシウスに活躍して欲しいと思っている。お気に入りの選手は、ポルトガルジョアン・フェリックス。名前からしてかっこよく、幸先よくゴールを決めることができた。今大会で輝いて欲しい。

C・ロナウドとメッシは、しっかりと見納めにして、記憶にとどめなければならない。2人のプレーはピークを過ぎたとはいえ、まだまだパワーを感じることができ、気持ちが伝わるプレーする。残念ながら地上波ではグループリーグのアルゼンチンの試合は1試合も放送されない。ポルトガルも1試合だけである。ABEMAで全試合見ることができるので、とてもありがたい。じっくりと腰を据えてサッカーを観ることで、見えてくることがある。しばらくインプットの日々が続く。

 

 

カタールW杯開幕

カタールW杯開幕

 

サッカー(フットボール)の祭典が始まった。内から込み上げてくる静かなワクワク感がワールドカップにはある。みんなでワイワイと見るワールドカップより、1人静かに観るワールドカップを僕は好む。深夜、または早朝、テレビ画面の前に座って、国の威信を懸けて全力でプレーする選手を目にすると、なんとも言えない興奮と脱力感に包まれる。試合前の国歌斉唱、試合後の予想できない結末は、「とんでもないものを目撃してしまった」という罪悪感にも似た感情を抱くこともできる。その余韻は記憶の奥底に、沈殿物として溜まっていく。勝者と敗者の対照的な姿は、サッカーの価値を改めて確認でき、サッカー(フットボール)の素晴らしさを純粋に味わうことができる。

 

現時点では、アルゼンチンの1-2での敗戦が、ナンバー1の衝撃的な「とんでもないものを目撃してしまった」である。予選リーグでは、カタール、イランとアジア勢が南米欧州の狩場化していたので、サウジアラビアももしかしたらと思っていたら、試合をひっくり返してのビックサプライズになった。

 

イングランドの先制点、追加点も驚きだった。19歳ベリンガム、21歳サカの若い選手がチームを引っ張った。世界最高峰のプレミアリーグで馴染みの選手ばかりで、超豪華メンバーだった。期待される選手が期待通りのプレーをすることは、トーナメントの上に進む上で当たり前のことであり、結果を残せるプレーができることがすごい。

 

オランダ-セネガルもうれしい目撃があった。僕はオランダが好きなので、前回ロシアW杯では見られなかったプレーが見ることができるのは正直うれしい。オランダのベンチを映したシーンがあった。監督のルイス・ファン・ハールの横にダービッツが映し出された。画面を見て「あっダービッツだ」と固まってしまった。ちょっとした衝撃と感動があった。

 

デンマークエリクセンが見られたこともうれしい。昨年のユーロで試合中に突然倒れ意識不明となってからのW杯だった。デンマークも好きな国の1つで、デンマークというとラウドルップ兄弟をいつも思い出してしまう。オランダといいデンマークといい、日本より国土も人口もはるかに小さく少ない国なのに、次々とワールドクラスの選手が出てくることがサッカーへのパワーを感じる。

 

64年ぶりの出場のウェールズもどんなサッカーをするか楽しみだった。ベイルのネームバリューは世界トップクラスである。それでもなおウェールズと言うとイアン・ラッシュを思い浮かべてしまうのは、僕だけだろうか。

 

フランスの試合もしっかりと見てしまった。ベンゼマやポグマ、カンテがW杯にいないとはいえ、豪華メンバーである。アジア勢のオーストラリアが先制したのに驚いたけれど、フランスの攻撃力はそれ以上に驚いた。テュラムが見られたことも安心した。

 

優勝を狙える国のメンバーはもちろん知っている馴染みの名前であり、選手である。そしてスタメンだけでなく、控えメンバーでさえ豪華すぎるメンバーである。そのような意味でもサッカー(フットボール)の祭典だと言える。何かを学ぼうとか吸収しようとか、どんな戦術とかの視点ももちろん否定はしない。それよりもまず、難しいことは考えずにサッカーそのものを純粋に愉しみながら見ることが、ワールドカップを見る秘訣なのかなと思う。

 

 

ユースリーグ 最終節

ユースリーグ 最終節

 

結果

11月19日 土 10:00キックオフ GF穂坂

韮 崎 1-0(0-0)甲府

 

韮高創立100周年となる記念すべき年のサッカー部は、ものの見事に帝京三の前に散った。今思い出しても、どうしようもない惨めさしか残らない敗戦だった。

後悔と悔いしか残すことのできなかった代から、気持ち新たな代になり、新チームの初戦となった甲府商戦だった。

甲府商は選手権が終わっても3年生がサッカーを続けていて、この試合に懸けた。韮高は高校サッカーの最終目標が選手権なので、その後の試合は新チームで戦った方が将来のサッカー部のためになる。甲府商の胸を借りた試合は、韮高が1-0で勝った。試験期間中で思うようなトレーニングができない中での試合だったにもかかわらず、ウノゼロでの勝利はまずまずの新チームのスタートが切れたのではないか。

3年生のがんばっていた姿や、サッカーに取り組む姿勢は下級生が一番目にしている。結果から見れば、その姿勢でははっきり言ってダメだった。がんばっていたのなら、もっと良い結果になっていた。あれでがんばっていたのなら、ただの自己満足であり、誰からも相手にされないし評価はかなり低いものとなる。

あのような惨めな姿をさらしたくなかったら、新チームは今以上の努力を積み重ねなければならない。甘さや甘えは敗北へ直結する道となる。

自分の認識している「当たり前」をまずは疑うことから始めなければならない。自らが(苦しみながらも)当たり前にこなしている日常に対して、「これでいいのだろうか」と問うこと(再考)が必要である。人間は「問う」ことで始めて「考えること」を開始する。思考は疑問によって動きだす。現在のトレーニングのモチベーション、トレーニングの質、量、生活の全てを問い直すことで、現在地と目的地を確認できる。自らに問いかけ、考えることで、サッカーへのアプローチがより深いものになり、行動も変化する。相対化、対象化することによって、自分自身の足りないモノが見えてくる。

つい最近の3年生の敗戦の姿を思い浮かべれば、あんな無様な醜態をさらしたくはないはずである。そうならないためには、「繰り返し自分の心に浮かぶ疑問」を大切にすることである。そこから解決に向けて行動に移すことは必然である。

勝利やタイトルはとても尊いものである。お金などの物理的な、何か有益なものになるものではない。けれどその尊い存在に向かって、全力で取り組むことこそが、自らが選んだサッカーの道である。その選択は宇宙的なあらゆる真理からしても間違っていない。

新チームのスタートは勝利(白星)となった。来年の今頃は納得のいく勝利で県代表をつかみ獲りたい。「今まで生きてきた中で、今が一番やる気がある」と思える日々を継続することで、1年後の姿が変わる。

 

 

 

ワールドカップまであと少し

ワールドカップまであと少し

 

ワールドカップまで1週間を切った。自分の中では、ロシアW杯の時よりもはるかに盛り上がっているのだけれど、世間ではいつものような盛り上がりがないらしい。韮崎もコロナの影響で恒例パブリックビューイングは開催されない。

個人的には、カタールW杯は節目の大会となる。

僕の中では今回のW杯は、W杯を真剣に見始めてからちょうど10回大会目となる。真剣に見始めてというより、リアルタイムで観戦し、なおかつ確実に記憶に残っているW杯から10回目ということになる。リアルタイム観戦は86年のメキシコ大会である。82年スペイン大会は、録画での観戦。中学時代、雨の日の練習はなく、スペイン大会の試合を部員全員で集まって図書館の小さなテレビ画面で観た。78年アルゼンチン大会は、残念ながら記憶にないので、W杯歴はざっと40年ということになる。

夢のまた夢だったワールドカップが、今では当たり前の存在になっているので、過去を振り返ると日本サッカーの急成長は驚く。夢は実現するものなんだなと素直に思える。日本代表については、あまりよく分からない。純粋にワールドカップを楽しむとしたのなら、日本代表はグループリーグで消えてしまう。

決勝はまだ実現したことのないブラジル-アルゼンチンを見てみたい。けれどどちらも1位でグループリーグを通過すると、準決勝で対戦してしまう。グループリーグの勝ち抜け順位の予想と、決勝トーナメントのチームを予想するのもワールドカップの楽しみであると思う。

ワールドカップで試合を見る度に、改めてサッカーをやってきて良かったと思えるし、サッカーというスポーツに出会えることができて良かったと思う。なにより、ワールドカップについていろいろと綴ることなんかより、サッカー仲間と語り合う時間の方がずっと価値がある。1つのゴールについて、1つのプレーについて、選手について、試合の勝敗について、ああでもないこうでもないと語り合うことが、サッカーの見る楽しみの後にやってくる、語る楽しみである。サッカー(フットボール)の広がりと、奥深さをじっくりと体感し、今以上にサッカーに魅了されたいと思う。

 

 

選手権決勝 雑感

選手権決勝 雑感

 

第101回全国高校サッカー選手権大会山梨県大会決勝は、山梨学院が帝京三を倒し県代表となった。山梨学院は3年連続9回目の出場となり、県内3冠も成し遂げた。

学院のすごさを勝手に思い浮かべてみる。まず思い浮かぶことは、3年連続して航空、韮高、帝三と相手は違うものの、決勝では先制点を奪われているという点である。タイトルの懸かる試合では、先制点が何よりも欲しい。先制点を奪ったチームが圧倒的に勝つことが多い。学院は劣勢から、同点に追いつき、試合をひっくり返すことができる。その点は本物の強さがあると言って良く、すごいところである。

帝京三の守備はそう簡単には点が獲ることのできない強度があり、組織的にも整ったバランスの良いディフェンスだった。学院が自分たちのサッカーをやろうと思って試合に臨めば、帝三のプラン通りだったような気がする。おそらく帝三は相手のやりたいサッカーをやらせないサッカーを作戦として練っていた。

学院ははっきり言って、それほど強くはない。もちろん選手個々、選手層は山梨県でもトップである。ここ数年は隙のあるサッカーをし、勘違いしているような雰囲気さえ感じた時もあった。それでもなおタイトルは獲っていて、しぶとさを年々身につけている。その点もすごさの1つである。

学院のチームマネジメントとその土壌は整備されつつある。いわゆる風格とか伝統とかの類のものを、チームそのものが確実に力として蓄えていることが見て取れる。

チームが成長を止めずに成長し続けている点、次から次へとチャンスをつかむ選手が出てくる点は、学院のチームとしての大きな強みである。そのような風土を創り出すことは簡単ではない。

羽中田監督のゲームコンセプトも大きな勝因だった。羽中田さんがバルセロナ、ポジショナルプレーへの嗜好を持っていることは誰でも知っている。インタビューの記事の中からも読み取れる。どのチームもセカンドボール(どちらでもないボール)を自分のモノにすることは意識して取り組んでいる。学院は「セカンドボールをどういう体の向きで回収するか」ということがトレーニングの1つのテーマとしてあったということが、羽中田さんのインタビューで分かる。(量的・質的・位置的)優位性という概念の中で、「体の向き」はそれ以前のコンセプトであると思われる。ボールを保持した時(パスを受けた時、奪った時)の自分の体の向きは、チームにとって優位性を担保できているかという視点では、より良い体の向きの選手にシンプルにボールを預けることが最適解である(これはチームのゲームモデルにより異なる)。

1つ先を考えて、セカンドボールを回収した後に、何をするのかというところまで意思統一されているチームは少ない。細かい局面を見て行けば、やろうとしていることは小学生も中学生も高校生も変わらない。選手目線では、「そうは言っても球際で全力を出している瞬間に、体の向きなんか意識していたら、たちまち敵にボールを奪われてしまう」と言いたい気持ちも分かる。実際、100%の力を出している時に、次のことを考えることは訓練しても難しい。やはり日々のトレーニングの積み重ねの大切さを感じることができる。

どちらが勝ってもおかしくはない試合、難しい試合で、勝利をたぐり寄せることは簡単ではない。今回の県大会は、山梨学院が総合力で勝ち取った。負け惜しみではないけれど、まだ学院を倒せる射程圏内にいると思うし、思いたい。

 

 

 

 

私がサッカーを愛してやまない理由の大きな部分は、このスポーツが非常に主観的であるという点だ。誰かと隣同士で座って同じ試合を観ていたとしても、スコアという客観的真実を除けば、試合中に起こったことについて大きく異なる受け止め方をするかもしれない。それは必ずしもどちらかが間違っているということでなく、単純に異なる視点を持っているだけだ。

リー・スコット