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サッカーブログを読む

サッカーブログを読む

 

情報氾濫時代に、自分にとっての有益な情報に辿り着くことは難しい。ただ当事者にとっては、情報発信という意味合いにおいて、不特定多数の人たちに目に留まる便利なツールと言ってよい。

サッカーという極めて限定された中でブログを書く1人として、僕自身が時折覗くブログが幾つかある。100%選手目線のブログは、良い記事が多く、文章的にも優れているものが多い。大学のサッカー部員が発信するブログなのだけれど、この時期は卒業文集的な要素と4年間を総括した中身の濃い内容がある。

東大・筑波・早稲田・慶応の選手ブログは、時間のある時に読ませてもらっている。1人1人生まれ育った環境が違い、それに伴って考え方が違う。大学サッカーという組織の中でどのようにその環境に適応し、順応していくかは、選手の志と覚悟が良くも悪くも大きく左右する。

パソコン内を整理して、ブックマークをしていた記事があった。幾度のなく目を通し、僕の好きな文章である。人それぞれ好みがあり、好きなストーリーがあるので一概にこれが良いとは断定できない。個人的に好きな文章であるので、紹介する。

 

【#Real Voice】 「環境と意志」 1年・成定真生也|早稲田大学ア式蹴球部 (note.com)

 

有名でもない普通の人の文章が、心に響くことがある。世界中の誰もが知っている偉人の名言でもない、だだの(と言ってしまえば失礼にあたるけれど)市井の人の何でもない言葉が、突き刺さることがある。大学サッカーというステージでサッカーに真剣に打ち込む人数は、高校サッカーに比べると格段に少ない。もちろんピラミッドの上に位置するので当たり前である。大学でサッカーを追求するその熱量は、その文章から伝わってくるし、これから大学サッカーを目指す選手たちにとっての良いアドバイスとなり、指針となる。

そして何より、小さな殻に閉じこもっている自分本位の選手、世間を知らない視野の狭い選手にとっては、目から鱗の世界が広がっている。自分だけ辛い思いをしているとか、現在の環境がいけないとか、上手くいかないことを自分以外のせいにしている選手は、外を知る良いきっかけとなるように思える。もちろん、感性と読解力は必要である。サッカーだけが上手い選手という時代は、とっくの昔に過ぎ去っている。

 

【参考】

東京大学運動会ア式蹴球部の部員ブログ

feelings (ashiki-feelings.blogspot.com)

 

『スポーツ哲学者と共に考える「みんなのサッカー幸福論」』

サッカー本 0114

 

『スポーツ哲学者と共に考える「みんなのサッカー幸福論」』

著 者 島田 哲夫

発行所 Days ブックス

2021年10月25日発行

 

体裁は、本というか、大学の授業で使用するサブテキストのような、冊子のような本である。またスポーツ哲学者の文章だけあって、模試に出てきそうな内容と表現であり、優しく誰でも理解できるような感じであるけれど、説いていることはシンプルな故に難しいと感じる。「スポーツとは何か、サッカーとは何か」を考える「きっかけ」を作ることのできる本である。

この本の特徴がもう1つあり、東京オリンピック後に絡めた内容があり、コロナ渦に書かれた内容であるので、時代性という部分でも興味深い考察がされている。

 

現在の状況下であっても、いやこのような過渡期の状況下であるからこそ、哲学する目的を貫徹しようと決意するならば、コロナ前、コロナ渦、コロナ後という三つのフェーズにおいて、「サッカーとは何か」と哲学し、三つのフェーズに共通する、あらたな概念を生み出し、世界の見方を変え、この状況下を超克する必要があります。

 

著者は「サッカーは虹の架け橋である」と言い、多様な人びとが橋を渡り、「何か」と「何か」を結び付ける役割を持つと言っている。同時に「サッカーは人の心に豊饒さをもたらす華ではないか」とも言い、サッカーが人々を魅了され続けることを哲学的に考察している。

「サッカーとは何か」を哲学という側面からアプローチすることも必要だと思わせる本となっている。

 

「哲学」は、これまで「当たり前」だとなんの疑問も抱かなかった事象や行為や心理に、「それは一体なんだろうか」、「それは一体なぜ起こるのか」、「それがもしなくなると、どういうことになるのか」、「それはなぜ生まれたのか」、つまり「~とはなにか」という問いを自分自身で発し、その解を自分自身の思考の力で得ようとする営為なのです。

 

ここ近年、考えること、考えなければならないことをより求められるサッカー界である。試合前、試合中、試合後、トレーニングにおいても、リアルタイムで、またその状況後においても、「考えること」が求められる。「考えること」自体、身につけなければならない能力となっている。読み方によっては、多くの示唆を与えられる内容となっている。

 

 

 

日常を問う

日常を問う

 

1日24時間、サッカーに打ち込む時間はどのくらいで、サッカー以外の時間はどれくらいの割合だろうか。本気でサッカーをする時間は長くて3時間とするならば、1日のわずか12.5%の割合に過ぎない。サッカー以外の日常の時間が多くを占めるということは、トレーニング、または試合でのパフォーマンスの不出来は、日常生活の質が大きく影響を及ぼすと言ってよい。

哀しいことに、日常の生活習慣がそのままプレーに出てしまうもので、がんばらなければならない時にがんばれない選手は、日常の生活に甘さがあると言わざるを得ない。またトレーニングに取り組む姿勢も、自らの生活習慣のレベルが高い選手の方が、多くを吸収し上達する。良い選手とダメな選手の差は、日常生活でどれくらい自分に厳しくできるか、目先のつらさに妥協せず流されない生活を送ることができるかである。「誰かが見ているからやる」とか「これをやると評価が上がるから」という本質からかけ離れた日常の行動は、人の見ていないところで努力する選手には絶対に勝てない。小さな積み重ねが、やがて大きな差となって現れる。サッカーがちょっと上手いだけの選手ではなく、指導者や仲間から信頼される選手というのは、日常からしっかりしている。このことは、僕の経験則から実証できる。

生活の乱れは、サッカーのパフォーマンスに直結する。安臭い誘惑になびき、自らが掲げた目標を達成するための行動ではないと少しでも思ったならば、立ち止まって日常を問う時間を作る必要がある。自らが志したサッカーであり、覚悟を決めて打ち込むサッカー生活である。自分が実現したい目標からみて、今の自分はその実現に向けて真っ直ぐに向かっているのか。弱い自分から決別し、厳しい現実に立ち向かっているのか。1つの大きな目標に向かって強い意志を持ってやり抜いているのか。人間は困難(壁)を乗り越えて成長していく生き物である。やろうとする意志があれば、大抵のことはできる。

 

 

人は繰り返し行うことの集大成である

だから優秀さとは、行為ではなく、習慣なのだ

アリストテレス

 

 

 

J開幕 2024・ACL・なでしこ

J開幕 2024・ACL・なでしこ

 

2024年シーズン、31年目のJリーグが開幕した。オリジナル10と言われるように、Jリーグ1年目は10チームでスタートしたリーグだった。30年が経過し、J1からJ3まで全60チームとなり、Jなし県と言われる県は福井、滋賀、三重、和歌山、高知、島根の6県となった。まだJFLにもサッカーチームがない県もあり、サッカーの新興・普及という側面では、大きな隔たりがあると言わざるを得ない。気軽にJリーグを観戦に行ける環境が、ここ山梨にはあるということは、とてもありがたいことだと思う。

2月の終わりから、3月初めにかけて、新しい気持ちでJ開幕を迎えるという気持ちの高揚も、あと数年でなくなってしまうと思うと複雑である。春秋制から秋春制への移行へと正式決定されてしまったので、日本独特のサッカー文化が大きく変わる節目を見届けたいと思う。

10年前の選手名鑑や30年前のオフィシャルガイドのページをめくると、その当時の記憶が蘇る。そして今シーズンが良いシーズンでありますようにと心から願う。

 

J開幕前にVF甲府のACL決勝トーナメントの試合があった。国立で行われた蔚山現代との試合を観戦してきた。サッカーは何が起こるか分からない常々と言っておきながらこんなことを言ってはいけないのだけれど、VF甲府がACLに出場することは僕が生きている間はないと思っていて、一生に一度の機会なのでその雰囲気を味わってきた。韓国の蔚山現代の監督は、Jリーグでプレーしたことのあり、韓国人初のJリーガーキャプテンにもなった(僕らの世代では有名な)ホン・ミョンボ(洪 明甫)だった。久しぶりに生のホン・ミョンボが見ることができて感動してしまった。

 

パリ五輪の出場を目指す女子サッカーも面白かった。北朝鮮との試合は多くの感情が浮かんでは消え、また入り交じった。アジアの出場枠は2枠。この試合で勝った方がオリンピックの出場が決定するという緊迫した試合だった。なでしこジャパンのプレーよりも、驚いたのは北朝鮮のフェアプレーだった。そして北朝鮮プレーと同様に監督の会見も熱いものだった。

出場枠が2枠というのは、30年前のアメリカワールドカップのアジア枠がそうであった。ドーハの悲劇と語り継がれる試合で、日本は初めてのワールドカップ出場が実現しなかった。

なでしこジャパンの監督は池田太だった。30年前のJリーガーである。浦和レッズでDFをしていた。30年後にまさかなでしこジャパンの監督となっているとは、全く想像できなかった。なにかとつなげてみると、VF甲府のトップコーチに横山雄次がいる。横山と池田は武南高校出身で、池田が横山の1つ下である。池田のプレーは覚えていないけれど、横山は上手かったことを覚えている。2人共、大学でもトップで活躍しJリーガーとなったので、武南高校のポテンシャルを感じる。もちろん韮高OBも国立のピッチに立っていたので、選手と同様に応援していた。

 

サッカー(フットボール)のある日常を大切に過ごしていきたい。

 

 

 

 

Toryval STAGE 韮 崎-日大山形

Toryval STAGE 韮 崎-日大山形

 

結果

2月25日 日 9:00キックオフ うさぎ島1G

韮 崎 3-0(2-0)日大山形

 

複数得点に失点0の試合ができた。日大山形との試合を振り返った時、何ができたのか、良かったところは何だったのかという、良い面での振り返りは大切である。ボールの奪った位置が良かったのか、攻守にわたり人数をかけられたことが良かったのか、普段やっているトレーニングの成果が現れたのか、何かしらの良い点があって得点ができ、また失点をしないことにつながったはずで、その良いイメージはチームで共有するべきである。どのチームもこのような試合をすることができる。ただこのような試合を継続していくことは難しい。難しいけれど不可能なことではない。

今の季節は、一発勝負の時ではない。どんな試合であっても、何度もチャレンジすることができるか、自分の力を出し切れるかである。自分を試す時であり、自分が試される時である。失敗をしても修正ができ、多くのチャレンジが許される時である。どのように自分自身をもっていけるかで、大きく変わることができるし、大きく成長が期待できる。まずは、ブレることのない目標を掲げ、それに向けて努力するプロセスを継続することである。地道な積み重ねの日々が目標達成へとつながる。または地道に積み重ねる日々からしか、目標達成ができない。

おそらく、自分の高校生活、サッカー生活が自分の思い描いた通りに進んでいる選手はいないだろうと思われる。人生もサッカーも自分の思い通りになるほど甘くはない。思い通りにならない時に、どのような自分でいられるかで、近い未来が大きく変わってくる。腐って不平不満が出てくる自分になるのか、「自分はこんなものではない」まだまだやれると思って前向きになれるかでは、言わないでも分かる年代である。上達と成長には楽しんで取り組んだとしても、困難や壁がついて回る。自分をワンランク上へと押し上げてくれる目の前の障害を、自分自身がどのように捉え、どのように咀嚼し、どのような最適解を導き出すのかで、夢や目標の実現に近づくことができる。

春に桜が咲くころには、試合を見て、「あいつ成長したな」と思われる選手を目指してもらいたい。また「こんな面白い選手がいたんだ」と思わせる新しい選手を目にする事ができることを愉しみにしている。

 

 

失敗を認めることこそ、成長のチャンスであり、

悔しさをバネにできる気持ちの強さこそ、

人が成長するための最高の資質である。