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J開幕 2024・ACL・なでしこ

J開幕 2024・ACL・なでしこ

 

2024年シーズン、31年目のJリーグが開幕した。オリジナル10と言われるように、Jリーグ1年目は10チームでスタートしたリーグだった。30年が経過し、J1からJ3まで全60チームとなり、Jなし県と言われる県は福井、滋賀、三重、和歌山、高知、島根の6県となった。まだJFLにもサッカーチームがない県もあり、サッカーの新興・普及という側面では、大きな隔たりがあると言わざるを得ない。気軽にJリーグを観戦に行ける環境が、ここ山梨にはあるということは、とてもありがたいことだと思う。

2月の終わりから、3月初めにかけて、新しい気持ちでJ開幕を迎えるという気持ちの高揚も、あと数年でなくなってしまうと思うと複雑である。春秋制から秋春制への移行へと正式決定されてしまったので、日本独特のサッカー文化が大きく変わる節目を見届けたいと思う。

10年前の選手名鑑や30年前のオフィシャルガイドのページをめくると、その当時の記憶が蘇る。そして今シーズンが良いシーズンでありますようにと心から願う。

 

J開幕前にVF甲府のACL決勝トーナメントの試合があった。国立で行われた蔚山現代との試合を観戦してきた。サッカーは何が起こるか分からない常々と言っておきながらこんなことを言ってはいけないのだけれど、VF甲府がACLに出場することは僕が生きている間はないと思っていて、一生に一度の機会なのでその雰囲気を味わってきた。韓国の蔚山現代の監督は、Jリーグでプレーしたことのあり、韓国人初のJリーガーキャプテンにもなった(僕らの世代では有名な)ホン・ミョンボ(洪 明甫)だった。久しぶりに生のホン・ミョンボが見ることができて感動してしまった。

 

パリ五輪の出場を目指す女子サッカーも面白かった。北朝鮮との試合は多くの感情が浮かんでは消え、また入り交じった。アジアの出場枠は2枠。この試合で勝った方がオリンピックの出場が決定するという緊迫した試合だった。なでしこジャパンのプレーよりも、驚いたのは北朝鮮のフェアプレーだった。そして北朝鮮プレーと同様に監督の会見も熱いものだった。

出場枠が2枠というのは、30年前のアメリカワールドカップのアジア枠がそうであった。ドーハの悲劇と語り継がれる試合で、日本は初めてのワールドカップ出場が実現しなかった。

なでしこジャパンの監督は池田太だった。30年前のJリーガーである。浦和レッズでDFをしていた。30年後にまさかなでしこジャパンの監督となっているとは、全く想像できなかった。なにかとつなげてみると、VF甲府のトップコーチに横山雄次がいる。横山と池田は武南高校出身で、池田が横山の1つ下である。池田のプレーは覚えていないけれど、横山は上手かったことを覚えている。2人共、大学でもトップで活躍しJリーガーとなったので、武南高校のポテンシャルを感じる。もちろん韮高OBも国立のピッチに立っていたので、選手と同様に応援していた。

 

サッカー(フットボール)のある日常を大切に過ごしていきたい。