ニラニスタ発・蹴球思案処

蹴辞逍遥・晴蹴雨蹴

目にした記事 23-06

目にした記事 23-06

 

山梨日日新聞 23.10.21】

 

心温まる記事である。記事にある通り、韮高サッカー部は創部100年を迎える。大正、昭和(戦前・戦後)、平成、そして令和の時代へと歴史を積み重ねている。100年の中での在籍(旧制韮中時代は除く)は、たったの3年間である。凝縮されたその3年間は、どの年代も特別な3年間として、記憶に身体に刻まれている。楽しかった記憶や喜びの記憶は、苦しかったり辛かったりした記憶に押しやられて片隅にあるOBがおそらく多いのではないかと思う。

結果はもちろん大切ではある。けれどその先の長い人生を見据えたならば、高校時代の結果はたいしたことはない。なので、試合に出ていたとか出ていなかったとかは、時が経てば経つほどたいしたことではなくなってくる。3年間のプロセスが重要であって、ひたむきに努力したその日々が今後の力となる。

結果はたいしたことはないとはいえ、高校3年間という枠組みの中で見れば、やはりタイトルを獲り、全国で勝ち進むことは、実現しなければならない大目標である。そして結果はたいしたことはないと言えるのは、全力でサッカーをした人間が後から言えることで、サッカーに真剣に打ち込まなかった選手は言う権利さえなく、そのセリフを口にした途端、惨めな負け犬となる。

どの時代もチーム内の競争は激しく、時に対立したりつかみ合いの争いになる。全力で一生懸命やるからこそ生まれる衝突であり、勝ちたいからこそのぶつかり合いなので、強くなるには必要なことであると思っている。

ふと考えてみると、100周年の高校はたくさんある。そしてサッカーの歴史のある高校も数多くある。その中で、100年間もの長い年月、サッカーで名を轟かしている高校となると、パッと浮かばない。現在進行形で一応、強豪校と呼ばれているサッカー部となると、韮高も全国上位に位置することはできると思われる。

現役部員は、強い韮高サッカー部にすることが1つの使命である。14年も選手権から遠ざかっている時代はこれまでにない。令和の新時代に大きく流れを変えるチャンスである。選手権に出場すれば(調べてはいないけれど)、昭和(戦前・戦後)、平成、令和と出場を果たしている初の高校となる。

良い選手が揃っているからといって、勝てるほど勝負は甘くない。良い選手が揃っていないからといって、勝てないとも限らない。そして試合はやってみないとわからない。何が起こるか未知数であり、何が起きてもおかしくはない。真剣に勝負を楽しんで欲しい。

妥協して楽な方へ流れる選手には、厳しく叱咤し、苦しくて挫けそうなときは、そっと背中を押してやれるOBでありたいと思う。そして何よりも、選手権出場の喜びを一緒に味わいたいOBがたくさんいる。

 

 

伝統とは、革新の連続であり、常識にとらわれずに、

新しい事にチャレンジしていくことへの積み重ねである