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選手権県予選 準々決勝 後日譚

選手権県予選 準々決勝 後日譚

 

韮崎高校創立100年の記念すべき年の選手権大会は、語り草にもならない程の、忘却の彼方に消えてしまう試合となってしまった。

0-2というスコアは危険なスコアなのだろうか。カタールW杯が近いので、ロフトフの悲劇が思い浮かぶ。日本代表が2-0からベルギーに2-3と逆転された記憶に新しい試合がある。ベルギーのような勝負強さは、韮高には感じられず、0-2をひっくり返す力強さは感じられなかった。

帝京三戦の前週、3回戦の甲府東と対戦している韮高と同じくして、韮崎中央公園陸上Gでは、60歳以上の武田の里シニアサッカーが開催されていた。韮高OBの大先輩がたくさんの想いを込めてプレーした。

その週の半ば、選手権の準備でOBの何名かが、中陸Gのライン引きをした。その1人は、信玄公祭りで鎧を着て出陣しなければならなかったので、帝京三戦は観戦できなかった。祈るような想いでラインを引いたけれど、その想いは届かなかった。

帝京三戦の後半に、スタンドから「韮高がんばれ~」という小さな子供の声が聞こえた。ピッチで駆けずり回る選手には、その声も想いも届かなかった。

東京のサッカー仲間からは「韮高、もう負けたの?負けるの早すぎ」と、びっくりするどころかあきれていた。

試合終了後、スタンドにS級ライセンスを持っているOB先輩がいたので、敗戦原因とどのように帝京三を攻略すれば良かったかを聞いた。先輩が山梨学院-日本航空の試合を見ないで、韮高の試合を観戦してくれたので、ちょっとホッとした。

蓋を開けてみれば、天皇杯優勝をしたVF甲府のような試合ができず、インターハイに引き続き中陸Gで2連敗、選手権も中陸Gでは2連敗、また選手権での帝京三戦3連敗という不名誉な記録を更新した。

流経が負けてしまって全国ニュースになる中で、韮高の敗戦は山梨の新聞の扱い方はひっそりとして話題にもならない程だった。

翌日の夜、会議があったのでニコリに足を運んだ。多くの生徒が勉強をしていた。その中に、3人の韮高サッカー部の生徒を目にした。敗戦の翌日にもかかわらず、本業でもある勉強をしている姿に驚いた。僕は高校時代、勉強を全くしなかった人間なので、勉強をしている姿を見ると単純にすごいと思ってしまう。負けてしまった翌日に、グランドで自主トレをする姿は目にしたことがあるけれど、勉強をしている姿はなかなか目にすることが出来ない。負けて落ち込んでいるよりも、勉強をして気を紛らした方が正解かもしれない。1人の部員と話をした。選手権の話ではなく、別のサッカーの話をした。

1人1人を見れば、多くのドラマや物語がある。そのようなことは全く関係ないかのように、選手権は有無も言わさず勝者の世界である。勝負の世界の厳しさと、無情さを感じてしまう。敗戦がもたらす価値や負けることの尊さをしばし思案したい。