ニラニスタ発・蹴球思案処

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目的論的偏向

目的論的偏向

 

やや難しい話になるけれど、僕は目的論的な思考や解釈、視点が好きである。

目的論と対比して原因論や義務論のような考え方が存在するとはいえ、サッカーと向き合うならば、ポジテイブに全力の方が良い。

目的論的偏向だと、毎年、毎年、山梨県代表となり全国選手権に出場できるチャンスがある。そして例に漏れず、今年も大きなチャンスが待ち受けている。やる前から圧倒的な差がある訳ではなく、新人戦、県総体、インターハイのトーナメントでも、あと少しのところで敗れているだけである。

夏休みが終わり9月に入り現在まで、選手権という目標に向かってチーム作りをしてきた。うまくいなかい、納得のいかない試合が多かった。おそらく調子が良く突き進んでいるよりもはるかに、多くのことを考えたと察する。「どうしたら勝てるか」と考えることは、サッカーをやっている全世界の永遠のテーマであるので、常に考え続けなければならない。また自分の姿をありのままに直視することは強さでもあるので、考えることは無駄ではない。むしろ必要である。

今年の韮高は山梨県を勝ち抜く力がある。山梨を勝ち抜くことができれば、全国のベスト8まで勝ち抜く実力も兼ね備えている。全国を勝ち抜くポテンシャルは十分に秘めているので(毎年のことながら)、大きな期待をしている。

怪我をしている、どこかが痛い、なんとなく調子が上がらないなど、近くを見れば見るほど、不安材料はある。また「サッカーを何のためにしているのか」という問いも生まれる。まずは目的論的偏向から「サッカーをしている自分とは何者なのか」を深掘りすることである。思案することで違った視点が生まれる可能性もある。考えが変われば行動も変わる。