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第101回同窓会記念試合 韮崎-清水東

第101回同窓会記念試合 韮崎-清水東

 

結果

8月27日 日 11:00キックオフ 韮崎中央公園陸上G

韮 崎 2-1(1-0)清水東

 

ユースリーグの翌日に同窓会記念試合が清水東を招待して行われた。7人が2年生という思い切ったスタメンだった。チャンスを与えられた選手が結果を残すことができるか、チャンスを活かすことができるかが、勝敗を左右することになる。

前半にGKが1歩も動けないほどの鋭いシュートが決まり1-0で前半を折り返した。後半はミスが連続した韮高の隙を逃すことなく、清水東が1-1とした。交代選手を次々と投入し、ラストプレーのCKで決めきった韮高が追加点を上げ、そのまま試合終了となった。

致命的ではないにせよ、フォローする仲間にとっては負担がかかるミスが多く、得点チャンスはフィニッシュが雑で、決めきるチャンスをいくつも逃した。攻撃も守備も細部にこだわりきれない甘さが目に付いた。選手権に向けて修正のきく内容なので、それ程心配はしていない。

今年の同窓会記念試合は、特別で衝撃的な事が起きた。かなり個人的にはなるのだけれど、まさかの出来事だった。

それは試合前に、清水東の校歌が流れた時だった。横にいた僕らの代のキャプテンが、清水東の校歌が流れると、「おっ、懐かしぃ~」と言って校歌を歌い出した。まさか清水東の校歌を歌える仲間が、こんな身近にいたなんてと驚いてしまった。僕らの時代は、小学生から韮高の校歌は普通に歌えたし、旧制韮中の『百折不撓』も歌える小学生もたくさんいた。そんな中、山梨で清水東の校歌を知っているレアな仲間が、まさかの僕らの時代のキャプテンだとは思いもよらなかった。変な意味で尊敬してしまった。

 

いつも目にする先輩がいた中で、高校卒業(35年以上)ぶりに会えた先輩が2人もいた。試合はたまに会うことのあるY先輩と一緒に観戦した。試合中、懐かしむもほろ苦い想い出話となり、M先輩や同級生のSの記憶をつなぎ合わせて、リアルな記憶が蘇った。

Y先輩の選手権決勝は、韮崎中央公園だった。Y先輩は選手権決勝ぶりに中央公園のピッチに足を踏み入れたと語った。そして忘れることのできないディープな春の藤枝遠征の話へ移り変わった。Y先輩は荒っぽいプレーで鰻池先生にこっぴどく怒られ「山梨へ帰れ」と言われた。夕方に宿舎に帰るとうなぎさんに「お前まだ居たのか」と言われ、Yさんは1人電車に乗って山梨へ帰ってしまった。その後日談を、韮高-清水東の試合を見ながら聞くことができた。藤枝から富士へ、最終電車甲府へ。高校2年生の春休みの出来事は、リアルに色あせることなく記憶に残っていた。

サッカーは抜群に上手く、技術もさることながらそのサッカーセンスは真似したくてもできない天性の素質があった。本当にどうしようもない先輩達(否定しようがない)ばかりだったので、今でもその当時を振り返ると「たら」「れば」の世界になってしまう。

自主練を1分もしない先輩、食パン一斤を普通に食べている先輩、勉強道具を何も持ってこない先輩、なぜか勉強ができた先輩。たくさんの先輩が当番幹事で手伝いをしていた。横森監督著『たががサッカー されどサッカー』第3章「教え子たちの回想」では、この年代が最多6人、回想の文章を寄せている。韮高黄金期でも3人だから、この年代は壮絶な3年間だった。河西さんが「今なら、100万、いや1000万くれると言われても、こんな生活はしたくないと思う」と綴るように、僕も同じ心境である。高校3年間を振り返ると、楽しい想い出よりも、哀しくつらい思い出したくない想い出が浮かび上がるのは、僕だけではないはずである。

 

自分たちの過去はおいておいても、現在の韮高サッカー部の躍進を期待している先輩たちである。清水東戦で、最後まで諦めない姿勢は感じることができた。その気持ちは必ず持続する。勢いを持って選手権につなげてほしい。

 

 

がんばれ韮高サッカー部