ニラニスタ発・蹴球思案処

蹴辞逍遥・晴蹴雨蹴

闘いはすでに始まっている

闘いはすでに始まっている

 

インターハイ予選準決勝が控える。いよいよその闘いが始まると言いたいけれど、すでにその闘いは始まっている。大切な試合の時に、自分が持っている力が発揮できるのは、しっかり準備をしている選手だけである。ただの選手に終わるか、やっぱりすごいと思わせる選手になるかは、その時にがんばるだけでは、見合った評価は受けることはできない。これまでの日常と自らのサッカーに対する姿勢が如実に(悲しいくらいに)現れてしまう。

山梨学院との対戦は、日常とその積み重ねの総決算である。真剣にサッカーに取り組んだ日々と費やした時間が、その試合のスコアに間違いなく現れる。そうでなかったら、何のために苦しい思いと、時に辛く厳しい日々を乗り越えてきたかがわからなくなってしまう。そして理不尽にかつ無常にも、努力をしてきた選手が、必ず報われるとは限らない。サッカーは人生と同様、そのような側面を多分に持ち合わせている。それこそがサッカーだと言えるかもしれない。

 

ピッチに立つ選手は、監督から信頼され、勝利を掴み取ることを託された選手である。何より「韮崎高校」という学校の名を背負い、仲間の代表として選ばれた選手である。それに加え地域の想いも背負っている。緑のユニホームを着てピッチに立つことはとても尊いことを想像力を掻き立てて思い直さなければ、その闘いには勝てない。

冷静に考えなくても、勝機はある。試合の中でチャンスが必ずあり、チャンスは必ず巡ってくる。そこでチャンスを活かすことができるか、仕留めることができるかは、サッカー選手というより1人の人間としての総合力が決め手である。「もっている」と言われる選手は、運だけではなく運を呼び込む人間力がある。

学院に勝つことは目標ではなく、単なる通過点である。次も勝たなければならないし、またその次も勝たなければならない。1戦1戦全力で持っている力を出し切ることで、次のステージが用意される。楽しみな1戦なので、愉しませてもらいたい。

 

 

勝者と敗者

喜びと悲しみは

表裏一体である