ニラニスタ発・蹴球思案処

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卒部・卒業

卒部・卒業

 

今年も無事、韮崎高校サッカー部を卒部し、韮崎高校を卒業する。

「結果ではなく、プロセスが人を成長させる」という視点で語れば、おそらく高校3年間のサッカー生活は、大きく成長できた3年間であったと思われる。

高校3年間のサッカー生活で、何かを見つけられただろうか。

「見つけられた何か」は上手く言葉にはできなくても、感触として、手応えとして実感できていればそれで良いかもしれない。やがては形となって表層に現れる。その時に、「あの時の積み重ねの日々があってこそなんだ」と思えることができれば、高校サッカー生活はさらに価値のあるものとなる。本当に大切なモノはお金では買えない。

今年度もまた、山梨県のトップの座にたどり着くことはできなかった。インターハイも選手権も負けた。勝負の無常さ、山梨を勝ち抜く厳しさと難しさを味わった。結果を出すことは簡単なことではない。特に選手権では、ユニホームをツートンカラーにしての挑戦であったけれど、ユニホームの力だけでは勝つことができなかった。

「よくやった」、「がんばった」という言葉は危険である。その言葉自体に重みがなくなり、選手達への敬意も薄くなる。よくやっていたら勝てただろうし、がんばっていたら優勝して当然である。過ぎ去った試合より、未来を見据えた思考と行動が今は重要である。これまでの礎の上に、何を築いていくかがこれからの勝負となる。

 

我々は、サッカーがなくても生きていける人たちではない。これまでも、これからもサッカーをするし、サッカーを観るし、応援もする。

「自分らしさ」を考えた時、どのようなシーンで「自分らしさ」が思い浮かぶのだろうか。勉強をしている姿か、仲間と話している姿が、サッカーでもがき苦しんでいる姿か。サッカーだとしたら、監督の怒られている姿か、必死に走っている姿が、点を入れた姿か。その「自分らしさ」とは本当に自分が思い描く「自分らしさ」だったのか。

サッカーと自分の関係は、今後も続く。経験を積み、挑戦をして失敗もして、これからも歩み続ける。もちろん価値観も変わってくる。そのような中で、今まで付き合ってきたサッカーとの関係を再考し、アップデートしていくことで、より良い道が開けるのではないかと思う。自分の存在意義は、サッカーとリンクさせることによってリアルになり、豊かな人生が待ち受けていると思いたい。