ニラニスタ発・蹴球思案処

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挑戦する勇気

挑戦する勇気

 

「挑戦する」ということを思案してみる。

選手権が近い。県予選をすべて勝たないと代表にはなれず、全国大会へは出場できない。トーナメントを勝ち抜くことは挑戦である。挑戦する価値とか挑戦する意味はここでは考えない。挑戦するとはどのようなことかを考える。

挑戦とは立ち向い勝負をすることである。困難で先行きが読めない時でも、勝つためには失敗を恐れず立ち向かうことである。立ち向かうには勇気がいる。

挑戦には勇気が伴う。勇気なき挑戦は、言葉は存在するけれど、実体はない。勇気なき挑戦は、挑戦ではない。挑戦には恐れや不安が付きまとう。それを乗り越えて、挑戦しなければならない。迷ったら挑戦するという決断も勇気がいることである。

試合中、勇気をもってチャレンジする時というのは、どんなシーンなのか。具体的にどのようなプレーが、勇気をもって挑戦するプレーとなるのか。

1対1で挑戦するのか逃げるのか。ドリブルで前に仕掛ける時、その挑戦にはどんなリスクがあって、具体的にどうなるのか。

人を苦しめる後悔は、「理想の自己」として生きることができなかったことだという見方もある。自分がやろうとしたプレーに挑戦しなかった時、後悔が生まれる。後悔をさかのぼると、勇気を出したか、出さなかったか、という源流にたどり着く。

人が勇気を出すときというのは、どういう時なのだろうか。サッカー的に思案すると、どのようなシチュエーションにおいて、勇気を持ったプレーをするのか。

 

人は自分に価値があると思える時にだけ、勇気を持つことができる。そして、自分に価値があると思えるのは、自らの行動が周囲の人たちにとって役に立っていると思える時だけである。

 

アドラーが言っている通りであると思う。試合中、ギリギリの状態でドリブルで前に進むか、逃げのパスを選択するか。ギリギリの状態で、ゴール前に走り込むか、立ち止まっているか。チームスポーツでは自らのアクションが、チームの仲間のためにプラスになっている時に、勇気をもったアクションができるのではないかと思う。

一歩を踏み出す勇気があるかないかで、試合の勝敗を分ける。自分が持っているエネルギーを挑戦というアクションに移すことができれば、目の前の展開が変わる。試合終了のホイッスルが鳴り響いた瞬間には、別の世界が開けている。