ニラニスタ発・蹴球思案処

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活動再開

活動再開

 

サッカーをしていなかった時間が、サッカーをする時に大きな力となってくる。サッカーの活動を制限され、そこで考えたこと、いつものサッカーから離れたこと、サッカーをしたいと思ったこと、様々なことが大きな力となり、支えとなる。

 

やってはいけないことをやり、ルールを故意に破り、他を出し抜こうとする行動は、いつか自分に取り返しのつかない不運となって返ってくる。例えば、監督が入院してしまったり、選手が不祥事を起こしたり、そのような予兆は表層化するとほころびはあっという間である。因果応報であり、悲惨な結末が待ち受けている。その反対に、誠実に真摯に生活をし、正直者はバカを見るくらいのクリーンな集団は、良い結果をつかむことができる。

 

レーニングができるようになるこれからは、無駄のない研ぎ澄まされた生き方を追求しなければならない。究極的なストイックさも必要になるかもしれない。日々の努力や行動は、生まれ持った才能より重要である。努力と継続と規律は、成長するために、勝利をつかむために必要不可欠な価値観である。安い誘惑に負けている時間はないし、安い妥協とも決別しなければ、勝利は転がってこない。

 

昨年同様、技術的に大きな差はないと思える。まずは自分自身を過少評価も過大評価もせず、等身大の姿で勝負することである。チーム内競争の活性化は、チーム全体に良い影響をもたらす。自分の持ちうる全てを日々のトレーニングで出し切ることで、昨日の自分より成長する。そのようなチームであれば、試合で良い結果に近づくことができ、選手個々も手応えを感じることができる。チーム内での信頼関係は高まり、精神的にも成長していく。トレーニングから緊張感のあるチームは、試合の中でのチャンス、ピンチのシーンでも安定したパフォーマンスを発揮できると思っている。

 

志高く、行動するかしないかである。時間は有限であるので、それに気付くことができたならば、アクションを起こすことしか選択肢はない。分かっているけど出来ないというレベルでは、今の時点では大きな遅れがあると言えるだろう。難しい時代なので、シンプルなサッカーを心がければ、望み通りの結果が待ち受けているような気がする。

 

 

我々にはわずかな時間しかないのはではなく、

多くの時間を浪費しているに過ぎない。

生は、使い方を知れば、長い。

セネカ