ニラニスタ発・蹴球思案処

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伸びしろ

伸びしろ

 

小、中、高、大という節目がある。新しいチーム(学校)に入る選択がある。選手目線ではなく、スカウトという指導者目線では、「この選手はどれくらい伸びしろがあるだろう」と1人1人の選手を見る。選手を選べるとすれば、自らの経験と眼力が試される時となる。「あの選手は伸びるだろう」、「あの選手は伸びしろが少ない」という視点は、「伸びるだろうと思っていたらそうでもなかった」、「あの選手はびっくりするほど伸びしろがあった」と何年後かに分かる。

 

伸びしろがある選手についての予想は立てにくい。むしろ外れるほうが多いかもしれない。もっと伸びて良かった選手よりも、ダークホース的な選手が出てくることが自然に近い。順調に成長できる選手は、自分自身の問題はもちろん外的な環境も大きく左右するのではないかと思う。

 

日本スポーツ協会発刊の『Sport japan』(vol.59)に、興味深い特集が組まれていた。その特集は『どこを見る?「伸びしろ」を見いだす眼力』である。その中に、『二つの側面からのアプローチで見えてくる・スポーツにおける「心の伸びしろ」』が新しい視点を与えてくれた。選手を見る時に、フィジカル(体の大きさ)や技術的な部分に目がいってしまいがちである。僕自身、伸びしろ、成長の余地を「心の伸びしろ」という視点から考えたことがなかった。とても見えにくい(見えない?)部分なので、心の伸びしろを見極めるのは難しいけれど、そこへのアプローチは絶対に必要である。

 

心理学に「原因帰属理論」という考え方がある。負けてしまった試合の敗因をどのように考えるかで、心ののびしろが大きく変わる。敗因を、相手が強かった、運がなかった、という外的要因として考えるか、テクニックやフィジカルで負けていた、まだまだ努力が足りない、と内的要因として捉えるかで、心の伸びしろがある程度わかる。

 

指導者がいかなる「失敗観」を持たせるか

もうダメだ?まだダメだ?

 

個として成長し、強いチームになるためには、指導者のみならず、選手自身も失敗の受け止め方を再考し、良い形での「失敗観」を作り上げなければならない。失敗は終わりではない。

 

「伸ばす」という観点で、アプローチの仕方以外にも大切なキーワードがあります。それは選手自身が理解するということです。このトレーニングにはどんな効果があるのか、目標の数値に対して自分の現在地はどのあたりなのかを指導者が明確に示す。「わかる」は「できる」の近道です。

 

できない、できる、その間にあるもの、それは「わかる」

運動でもスポーツでも、「できない」と「できる」の間には技術的獲得というハードルがあり、そのハードルを乗り越えることは楽しさや喜びにつながります。またできない、できるの間には、「わかる」という段階があり、ここで「わかる」ことができると、「できる」ようになります。そしてできるようになると、もっと深くわかる、にもなります。

 

わかること=理解する事である。技術的な部分、そして自分自身のことをどれくらい分かっている人間がいるのだろう。この部分が「心の伸びしろ」であり、探究心であり、諦めない心である。どんなにポテンシャルがあっても、強烈な意欲や、本気さがなければ、ある程度で終わってしまう。成長できない原因、伸びた原因を、心の伸びしろに着目することで、新しい視点が加わる。やはりスポーツは心技体である。

 

 

弱いということは伸びしろがあるということである