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選手権特集06

選手権特集06

 

第100回全国高校サッカー選手権大会が終わったというのに、まだまだ山梨日日新聞での選手権特集は続いている。「私の選手権」13人目は、またも韮高OBが登場した。日本航空監督の仲田和正先生である。

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この記事を目にして、正直、どのような文章にするかを迷った。サッカーに関わる人達は、サッカーを通じてでしかほとんどが関わらない。けれど仲田監督とは、サッカー以外の莫大な時間を共にしてきたので、単純にサッカー人としての見方では、僕の視点はゆがんでくる。仲田監督とは同級生であり、小学校のFC韮崎以来、中学、高校とずっと一緒にサッカーをしてきた。大学を経て社会人になってからも、分け隔てない(悪い言葉で言えば無遠慮な)関係を築いている。かれこれ40年も付き合っていると良さも悪さも分からなくなり、時にそういった関係も生きて行くうえでプラスになるし、どうでもよくなる。要は昔から損得を抜きにした仲間である。

仲田監督と僕が同級生であったとしてもそれほど驚かないけれど、2人が仲が良いことが不思議がられる。この組み合わせはかなり意外らしく、ほとんどの人が「あの2人が・・・・」的にビックリするところである。これには仲田監督の性格と風貌に影響があり、ほとんどの人はあの人には友達が少ないと印象操作されているのかもしれない。昔から同級生からも怖がられていたからそれも納得できないでもない。

 

仲田監督の「絶対に強くしてみせる」という信念、サッカーへ注ぐ情熱は半端ではない。現在の日本航空のサッカー部は全国でも名前が通る高校となった。すぐにそのようになった訳ではなく、長い長い道のりがあった。今でこそベスト4の常連校になったものの、県内のベスト16の壁、ベスト8の壁はなかなか超えられなかった。僕でさえ、20代の頃には航空が強いサッカー部になるはずはないと思っていた。随分、ひどいことを言ったこともあると記憶している。

現在、山梨で強豪校の1つとなった日本航空である。地道な積み重ね、力強い指導力とあきらめない才能、常に目標に向かって努力する姿を近くで目にしていると、夢は実現し、願いは叶うと思える。

 

13年もの長い間、韮高は選手権に行っていない。韮高が沈んでいる間に、日本航空が2回、選手権に出場した。もちろん全試合、会場に足を運び、日本航空を応援した。高校時代に目標にした選手権を大人になって実現するというのは、そう簡単にできるものではない。素直に仲田監督のサッカーへの向き合い方に頭が下がる。これからさらに航空は強くなる。県内の名将ではなく、全国に名をとどろかせてもらいたい。