新入部員へ告ぐ
「僕は中学までにすべてを教えられてきたので、教えられるものはありません」。
昨年かその前か記憶が定かではないけれど、入部した部員の中に、指導者に放った言葉である。なんともすごい選手が、韮高サッカー部に入ってきたものだと思ったことがある。
おそらく似たり寄ったりの新入部員は多いと察する。「基本は良いから、テクニックだとか集団戦術を教えて欲しい」とか、「そんなことは小学校の頃から知っていることだ」と内心思っている部員がいるはずである。
そのような部員は古代ギリシャの哲学者・ソクラテスの『無知の知』という言葉を知る必要がある。
自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。
真の知への探求は、まず自分自身が無知であることを知ることから始まる。
これから韮高サッカー部で挑戦する3年間で絶対に必要な心構えである。
「知らないことを知らない」ことを意識し、自覚することで大きく世界観は変わる。サッカーへの挑み方、サッカーというスポーツを捉える考え方が変わる。
「無知の知」は、サッカーに限らず、生きていく上で意識しなければならない概念である。簡単に紐解くと、
「知っている」と知っていること
「知らないこと」を知っていること
「知らないこと」を知らないこと
この3つの領域が存在する。サッカーで例えると、知っている戦術があり、この戦術は分からないと自覚している戦術があり、新しい戦術がある事さえ知らない戦術が存在している、といった感じである。
高校サッカー生活は、まず「気づくことの大切さ」を習得すべきである。そうすればサッカーだけに限らず、内に向ける目も育つ。自分の知っている自分がいて、自分の知らない自分に気づくことができる。そして知らないことさえ知らない潜在的部分の自分にサッカーを通じて出会うことができれば、チームを引っ張る選手となる。周囲にも良い影響を与えることのできる選手に成長できる。
気づくことができれば、全国を目指し切磋琢磨する仲間や先輩たちから多くを学べる。仲間や先輩が当たり前にこなしている行動(プレー)があり、もしかしたらそれは自分が知らないことだったかもしれない。「知らないこと」すら知らないことから、知らないことに気づく自分になる。そういう事象は数多く散らばっている。自分自身が気付くことができるかどうかである。
3つの領域の中の『「知らないこと」を知っていること』という領域の物事を、『「知っている」と知っていること』の領域にする努力をすることが、高校サッカー生活で求められることである。必ず全国が近くなると信じている。