ニラニスタ発・蹴球思案処

蹴辞逍遥・晴蹴雨蹴

新人戦中止

新人戦中止

 

山梨県知事より新型コロナウイルス感染防止対策として、部活動中止の要請があり新人戦が中止となってしまった。まずは現実をしっかりと受け止めなくてはならない。そしてこの状況下において、自分には何をしなければならないか、何ができるのかを、自分が自分であるために思案しなければならない。

 

サッカー(スポーツ)において、トレーニングをするという時、非常に動的な行動の中には、実は自己凝視という、内へ向かう人間の精神的なはたらきがあると言われている。悪い例では、トレーニングとは身体的に鍛えることが大きくなり、自己把握という部分が欠落しがちである。

 

新人戦が中止になってしまったので、外のことは放っておいて、意識を自らの内へ向けたい。自己凝視であり、自己内省であり、自己内観である。それぞれ少しずつ意味合いが違うけれど、心を落ち着かせて、様々な角度から自分に問いかけることは無駄ではない。

 

自分が本当に望んでいるものは何だろうか

失敗してもトライして良かったことは何だろうか

つらく、ひどい経験で学んだことは何だろうか

自分はどのように成長していきたいのだろうか

何か1つ変化させるために何をしたら良いだろうか

 

サッカーを通してのこと、サッカー以外でのこと、結局は1つにまとまっていくのだけれど、2つを分けて思索することで新しい発見が見つかる。ある意味、意識浄化的なところも加味して、自分の現在地、進むべき方角を模索したい。もちろん明確な回答は出ることはないかもしれない。それでもそのことをああでもない、こうでもないと自由に思案することは、この停滞している期間にはちょうど良い。自己否定してもなお、明るい未来は待っている。

 

人材育成、人材教育の面で、このような試みを実践している企業は多い。かっこよく「リフレクション(reflection」」と呼ばれている。

最近のサッカーの解説でも「リフレクション」という言葉を耳にするようになった。サッカー用語でも「リフレクト」「リフレクション」があり、「デフレクト(deflect)」「デフレクション」という言葉も使われている。ポジェッション、オブストラクション、トラジション、アイソレーションなど、横文字の大量輸入がこれからも続くことが予想される。

 

限定されたサッカー生活、制限された日常の生活の中でも、気持ちだけは明るく保ちたい。笑顔や感謝、そしてポジェティブな言葉使い。今できることを今やれば、目に見えない力としてこれから活きてくる。

 

 

未来を考えるのではなく、未来から考える