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選手権特集03

選手権特集03

 

山梨日日新聞 21.11.23記事】

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特集「私の選手権」8回目は塚田さんだった。韮高OBでは3人目の登場となった。記事にある通り、地元韮崎開催のインターハイで優勝をしたときのキャプテンである。

平成でさえはるか彼方の出来事のように感じる時代に、あえて昭和を振り返る。塚田さんが3年生の時の韮高が、全国制覇をしたインターハイは昭和50年(1975年)である。現在でも現役の学院横森総監督が韮高に赴任して3年目の年である。横森監督が韮高で3年間指導した初めての年代である。

その時の部員を調べてみると、3年生6人、2年生6人だった。そのサッカー部に35人の1年生が入部(記事にある中で、塚田さんが韮高に誘われた先輩は誰かということが、個人的には興味がある)。現在、塚田さんと不二夫さんがS級ライセンスを持っていて、2人は選手権優秀選手に選ばれている。全国の優秀な選手の中で、韮高から2人も選出されることは誇らしいことである。その時代の全国の選手も有名どころはいる。現在のサッカー協会会長の田嶋幸三浦和南)、そして金田喜稔(広島工)であり、個人的には吉田弘(静岡工)である。

インターハイで日本一になったという快挙が先行して、その時の選手権はどうだったのかということは、あまり知られていない。塚田さんが出場した選手権は、まだ大阪長居での開催だった。翌年より首都圏開催となる。

塚田さん世代の選手権は、深読みするとさらに面白さが増す。歴史を振り返る事、勉強をする事というのは、このような楽しみがあるからだろう。その史実は、韮高サッカー部創部以来、初めてのPK戦をしたことである。引き分けの場合それまで抽選だったルールが、塚田さんが1年時の1973年にPK方式が初めて高校サッカーに導入された。韮高はPKが導入されてから2年間は公式戦でのPK決着はなかった。そして第54回全国高校サッカー選手権大会の1回戦、韮崎-鹿児島工戦で、韮高サッカー部初のPK戦に突入する。PKは7-6のサドンデスとなり決着がついた。韮高初のPK戦でゴールを守ったGKは、現在韮高サッカー部GKコーチの鰻池先生である。

2回戦では室蘭大谷を試合終了間際のゴールで勝利し、準々決勝で静岡工と対戦する。前半に先制し1-0、後半に2点を入れられ、韮高が追いついて2-2。韮高サッカー部史上2回目のPK決着となった。韮高の1人目、2人目が外して静岡工に破れた(静岡工は準優勝)。

 

時代が流れること令和3年。100回大会の県予選決勝では、韮高と学院のPK決戦となった。運命のいたずらと言うか、巡り合わせと言うのか、ベンチから見守る小泉監督、鰻池先生は共に、高校時代に選手権はPKで敗れている。

終わってみれば、深い喪失感と共にいろいろなことが浮かんでは消え、深く考えさせられる試合だったように思う。

伝説的ゴールキーパ-鰻池先生は、横森監督に負けずにこれからもやってくれると思う。僕も高校時代に鰻池先生に教えられたけれど、今のサッカー部はとても幸せな境遇にいるような気がする。そう思うのは僕だけだろうか。

 

【インターハイ優勝旗を受け取る鰻池春雄選手】

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