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選手権決勝敗戦思案

選手権決勝敗戦思案

 

重要な試合を振り返るというのは、それを前にして過ごしてきた日々を振り返るということでもある。

アンチェロッティ

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重要な試合を振り返るということは、おそらくそういうことなのだろう。結果的には負けてしまったけれど、後になって冷静に試合内容を見返すと、細かい部分では韮高の方が勝っていることが多かった。1人1人の選手の個の力は学院が正直上であった。それにもかかわらず、韮高のチームとしての機能性が上回った。試合経過と共に、韮高のリズムが良くなっていったのは、その点にある。セカンドボールへの反応、回収、攻撃へのトラジションが学院より格段に優れていた。味方のポジション、ボール、そして相手選手という優先順位があったので、選手間の距離は安定し、学院の2次攻撃は必然的に防ぐことができた。どちらでもないボールの状況においては、韮高は学院に対して優位に立つことができた。数的優位に加え、位置的優位性は学院より数段上だった。

「戦術は技術よりも短い時間で習得される」と言われる通り、韮高の基本戦術ははまった。常に学院選手にストレスを与えていたし、良い向きでボールを受けさせないプレスは有効だった。自由にボールを扱う隙を与えず、集中力のある粘り強い守備をした。

韮高の攻撃は、ボールを奪ってからの起点のパスがしっかりと味方につながっていたので、チャンスが訪れることは確信できた。韮高同様、学院も4バックはリスクをかけた攻撃参加をしなかったので、ドン引きの守備ブロックをつくっていた。何か起こるとしたら、相手のちょっとした判断ミスや技術的なミスから、勝機を見いだすことが重要だった。戦術的ピリオダイゼーションの視点から韮高のサッカーを見直すと、バタフライ効果が起きそうな雰囲気はした。また「自己組織化」とか「創発現象」を韮高は試合の流れの中で作り出していた。

何かが起こる、何が起きてもおかしくない状況の中で、前後半を終え0-0で延長に突入した。そして延長後半に何かが起きた。その何かは韮高の先制点だった。絶対に点を獲る、あきらめないでゴール前に走るといったメンタルの部分で韮高が学院に勝った。

喜びも束の間に、何が起きてもおかしくない状況の中で、1-1にされてしまった。追い詰められた学院は、リスクを冒してディフェンスが攻撃参加をした。後半の選手交代によって中盤の攻撃の質を変えてきた学院は、縦パス1本の攻撃から横パスを多くして攻撃に幅を持たせてきた。0-1になってもなおそのスタンスは変わらなかった。

韮高の良さは試合を通して出ていた。それでも最後の最後に失点してしまうのは、インターハイの決勝と変わらなかった。大きな試合で、1点をリードした時のクローズ仕方は経験不足だった。または準備不足だった。総括的な意味合いにおいて極論すれば「サッカーを知っている選手が少なかった」ということだろうか。冒頭のアンチェロッティの言葉を思い浮かべると、学ぶことは選手としての能力を一段引き上げることになる。学ぶことは、自分を知ることであり、成長することである。この1戦からの学びを、今後につなげることを期待する。