ニラニスタ発・蹴球思案処

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小瀬のスタンドにて

小瀬のスタンドにて

 

前年の選手権は無観客だった。2年ぶりに準決勝は有観客のため、にぎやかな小瀬となった。バックスタンドは生徒専用となり、メインスタンドに保護者、そして一般の高校サッカーファンが入った。

 

バックスタンドには多くの韮高生が詰めかけた。選手がFIFAアンセムの曲でピッチに入ってきた。ピッチに内で選手が整列し、校歌斉唱があった。

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キックオフまでのちょっとの時間に、応援に駆け付けた韮高生はタオルを広げ、選手達に気持ちを伝えた。今までにない韮高生の風景だった。僕らの時代からある百折不撓の鉢巻(今の時代でも嫌々ながらかもしれない)を頭に巻いた風景は当たり前だったけれど、同窓会タオルをみんなで広げたことは初めてのことだった。令和の時代となり新しい韮高の流れである。

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なにより、サッカー部というより全校生徒、学校ぐるみで選手権を勝ち取らなければならないという気持ちを感じることができた。

 

僕はある人に小瀬のスタンドで会うことをとても楽しみにしていた。ある人というのは、日大明誠と韮高の両校サッカー部に孫がいるおじいさんとおばあさんである。どちらかの孫がいる高校を応援するかを聞きたかったのだけれど、試合会場には残念ながら、足を運ばなかった。どちらかに気持ちを入れて応援することは不可能な感情であることは分かっていても、韮高を応援するという言葉を聞きたい気持ちがあった。ピッチでアップする選手たちを見ながら、おじいさんとおばあさんのことを考えた。

 

メインスタンドで韮高の試合を観るのはいつぶりだろうと考えた。近年はバックスタンドで観戦していた。バックスタンドとメインスタンドで観戦するのでは、大きく気持ちの部分で異なる。ちょっと冷静に観ることができるのはやはりメインスタンである。そのような意味合いで、今年は韮高を冷静に観ることができ、普通に選手権で全国に出場していた時のような昔の気持ちで県大会を観ることができる。

 

小瀬のスタンドで、サッカー仲間が「やっぱりここがいいな」と言っていた。韮高のあるべき姿、立つべき舞台は、平成晩年では小瀬になってしまった。しかし、韮高の本来あるべき姿、立つべきピッチはここではない。小瀬は単なる通過点であり、もうちょっと先に本来の韮高の立つべきピッチが待っている。出口は見えている。長いトンネルを抜ける時が来ている。

 

がんばれ韮高サッカー部