ニラニスタ発・蹴球思案処

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敗因雑思案

敗因雑思案

 

選手権は総力戦である。ピッチに立つ選手だけで勝てるはずもなく、良い指導者に恵まれたからといって勝てるほど甘くはない。選手権の敗因を思案すると、選手権は選手、部員、指導者のみならず、韮高を応援する全員で勝ち獲らなければならないと言っておきながら、最後の最後に甘さが出てしまったことが悔やまれる。

結論から言えば、選手や監督にはほとんど敗因はない。80分を0-0で終わり、延長戦に突入した。延長前半は0-0、延長後半に試合は動いた。韮高が1点を先制した。得点直後は選手は喜ぶ。1-0になってからベンチはさらに引き締まる。一方で、スタンド、TVで応援していた韮高ファン、保護者、OB、韮高に巻き込まれた人々は、「この試合は勝った」と思った。13年ぶりの全国での選手権大会。誰もがそこを意識してしまった。ある人は「今日の夕飯はメニューを変えなければ」と思っていたし、僕自身は冬の選手権の試合に関係ないことばかり思い浮かんでしまった。

韮高を応援する浅はかな単純すぎる歓喜が、ピッチに伝播し、足元を見ることなく転んでつまずいてしまった。究極的な敗因である。僕も普通だったら、学院の選手の姿をしっかり見て、がっかりしているのかまだまだやれるのかという表情やしぐさを見たり、ベンチワークをチェックしたりする。それなのに学院のゴールに吸い込まれるあの1点は、10年ぶり以上に自分を見失う衝撃的な1点だった。歓喜に沸くスタンドでは誰1人「まだまだ試合は終わってないぞ」と思っていた冷静な人はいなかったと思う。みんなで選手権を獲りに行くと言っておきながら、手放しに喜んでいた。せめてサッカー経験者なら、残りの時間を考え、戒める態度をとるべきだった。そのような観点からすると、とても選手達には申し訳なかったと思う。

冷静にベンチを見ていた人間がいて、その話を聞くと監督はかなり冷静だったとのことである。もちろん選手はそれ以上に、気持ちを引き締めここからだと思ったに違いない。その時点で勝ったとは少しも思わなかったと思う。

1-0でリードした時、全てを忘れてしまったバカな自分が愚かに見えて仕方がない。1-0、またはそれ以上で勝って、全国に行くことは普通だった気持ちを忘れてしまった。そのような意味合いにおいては、来年につながる試合だったと考える(しかない)。

選手権を2度も制覇した山梨学院が決勝の相手なので、そう簡単には山梨県代表にはなれない。0-1になってからの山梨学院は、攻撃に対しての意識(気持ち)はすざまじいものがあった。研ぎ澄まされた気持ちは、そのままプレーに現れた。それを跳ね返すほどの韮高全体の力があったにもかかわらず、「油断」がブレーキをかけた。誰もが選手権の光が見えた。その時の油断は今後、絶対にすべきではない。韮高らしくもあり、韮高らしくない良くない伝統をそこに垣間見たような気がする。