ニラニスタ発・蹴球思案処

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転んだら立ちあがる夏

転んだら立ちあがる夏

 

大切に育てたいと思う子供には、転ばない生き方をしてもらいたいと願う親はたくさんいる。小さい子供に「走らないで、転ぶから」と注意をする。けれど子供は走る。そして転ぶ。親が駆けつけて、子供を抱きかかえる。泣く子供もいれば、自ら立ち上がる子供もいる。

 

サッカーはミスのスポーツである。サッカーが人生だとすれば、サッカーをやっている選手は転んでばかりいることになる。転ばない選手はいない。重要なのは、転び方と転んだ後の立ち上がり方である。

 

サッカーにおいて、転ばないことはチャレンジをしないことと同義である。シュートチャンスがあるのに、パスを選択する。1対1を仕掛けないで、パスをする。攻撃に参加しないで、後ろで待ち構える。

 

アクションを起こすことは、リスクも伴う。失敗すれば転ぶ。もちろん成功することもあるけれど、多くは失敗に終わる。転んだ後に、どのように立ち上がるかで、転ぶ前の自分より大きくなれる。

 

夏は何度も何度も転ぶことができる季節である。転んだ後、何かの収穫を持って立ち上がりたい。転んだ時に眼に入る景色はどのようなものか、立ち上がった時の景色はどのようなものか。気付いた分だけ、視野は広がる。

 

最初からできる選手はいない。できるまでやり抜くことができる選手が、最終的には勝利をつかむことができる。だから夏は何度も何度も転び、そして転ぶたびに立ち上がることである。

 

夏が終わり、冷たい風を感じる頃には、自分でも驚くような成長をしているかもしれないし、仲間から伸びたなと思われる姿になるかもしれない。夏の過ごし方で、近い将来が決定的となる。

 

子供に転ばない方法を教えるのではなく、転んでも立ち上がる方法を教えることが大切である。大人になっても転ぶのだから、安全で安定した選択ばかりしていると、後になってひどい結末が待っている。

人間はそんなにヤワにできていない。夏に向かって全力で走ることを願う。