ニラニスタ発・蹴球思案処

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レジリエンス

レジリエンス

 

サッカーが進化するのと同様に、時代も進歩ししかもそれは急速である。僕らの時代(昭和)は、科学的な理論よりも根性論と精神論が台頭していた。歯を食いしばって我慢する根性論は、科学的なトレーニングの導入によって少しずつ存在感を失ってきた。「水を飲むな」という今では考えられない練習をしていた僕らだったので、現代のスポーツはとてもうらやましく思える。「スポ根」という言葉もほとんど聞くことがなくなってしまった。

 

ちょっと前のブログで「レジリエンス」という用語を使ってから、レジリエンスについて少し勉強していたところ、『Sprt japan』という雑誌で『スポーツを通じて、もっと心豊かに・・・しなやかな強さ「レジリエンス」を育む』という特集をしていた。

負けてしまった試合後に、「勝つ気持ち足りない」、「メンタルが弱い」という精神論的な部分を原因の1つにする事がある。「メンタルが弱い」そのメンタルとは何ですか?という問いに対して、レジリエンスという用語がキーワードとなっていて、その考え方と手法を提案している。

心が折れそうな時、心が折れてしまった時には、指導者や周りの支える力は大切ではあるものの、やはり自分自身で立ち上がる力(解決する力)が必要だと思う。

 

スポーツには、ポジティブな面だけがあるわけじゃないですよね。失敗することもあれば、悔しい思いもするし、厳しいことばをかけ合って切磋琢磨することだってあるはずです。しかし見方を変えれば、こうしたネガティブな体験をできることもスポーツのよさなのです。そして、ネガティブな体験を力に変えようとするとき、レジリエンスが身につくのではないでしょうか。

 

レジリエンスから派生したレジリエントという言葉もある。困難や脅威などの厳しい状況にも適応するプロセスや能力、結果を指し、貧困な環境など厳しい逆境で育ちながら健全な大人に成長した子どものことである。

 

レジリエンスとは、へこんだ気持ちに挑戦することであるともいえる。選手の心を木に例えると分かりやすい。

回 復  強風にたわみながらも、しなやかに戻る木

抵 抗  強風にも揺らがない木

再構成  強風で折れたあと、別の形になって生きる木

 

再構成の部分、心理学的用語でいう「心的外傷後成長」が、選手たちに求められることではないかと考えている。ネット社会となり、情報を自分からいくらでも入手できる時代である。言われたからやる時代は終わった。選手自らが自主性を持って突き進むことである。今後はそういった選手しか生き残れない時代である。言われたとおりにやるだけでも生き残れない。特にサッカーにおいてはそのようになる。