ニラニスタ発・蹴球思案処

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昭和の夏

昭和の夏

 

梅雨が明け、本格的な夏が到来した。今も昔も変わらず夏は暑い。高校3年間で3回の夏休みがあった。1番に思い浮かぶことは、長かった夏だったということだ。3回の夏休みの記憶がごちゃごちゃしていて、入り混じっている。別に系統立てて記憶を整理する必要性もなかった(わざわざ辛かった日々を思い返さなくてもよい)ので、25年以上も放っておいた。

探し物をしていて、学校から配布された夏季行事予定表が見つかった。サッカー部の欄では、夏休みの休みは1日もなかった。現在では休みはトレーニングの1つであるので、充分すぎるほど休養はある。トレーニング理論や、科学的なコンディショニングの観点から、OFFは必要不可欠である。

僕らの時代の昭和の夏はそうではなかった。休みはもちろんなく、トレーニング中、試合での給水は当たり前になかった。良いとか悪いとかではなく、日本のスポーツ界全体が大きく遅れていたことと、日本の精神的構造が、悪い意味で阻害要因として機能していたように思われる。

 

7月12日~16日 韮葉館合宿

21日 夏休みスタート

23日~25日 韮崎サッカーフェスティバル

26日~29日 中京大サッカーフェスティバル 遠征

30日 薬園台(千葉)TM

31日 沼津学園(静岡)TM

8月1日 OFF

2~3日 練習

4日 埼玉栄(埼玉)TM

5日 創価(埼玉)TM

6日 紅白戦

7日~12日 新潟サッカーフェスティバル 遠征

13日~17日 山梨県選抜合宿

18日~19日 日韓戦、1年生大会

20日 OFF

21日 練習

22日~24日 遠征(場所記録なし)

25日 練習 夏休み終わり

 

長い夏休みで休みはわずか2日。現在でも長かったな~と思う。もちろん選手も大変だったけれど、指導者も同じく大変だったと思う。サッカーノートには、1年生大会は韮崎工が優勝とあった。19日の試合で1年生と韮崎工3年生の試合があり、監督が勝てばグランドを10周すると言い、5-0で間違って(?)勝ってしまったので、監督が走ったとある。試合後、1年生数人が釜工の3年生に呼び出されたとも書かれていた。

 

たくさんした試合の記憶はきれいさっぱり忘れ去られていて、練習後にプールに入ってのんびりしたことや、練習後に水を飲まずに池田屋に走っていってスプライトを飲んだことなんかが、わずかに記憶に残っている。

鮮明に記憶が残っていることと言えば、夏休み後の一斉テストの国語の問題である。百人一首を覚えることが夏休みの課題で、テストの問題は「百人一首を全て書け」だった。当たり前のようにサッカーばかりしていて、勉強なんてこれっぽっちもしなかったので、書けるはずはない。唯一、母が好きだった和歌があり、それが書けただけだった。

 

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の

衣ほすてふ 天の香久山