ニラニスタ発・蹴球思案処

蹴辞逍遥・晴蹴雨蹴

意味のある変化

意味のある変化

 

文字にするということは、自己の内面を表現することである。当初は、韮高のサッカーから走り出したブログだった。その中に自らが読んだ「サッカー本」枠を入れ、サッカーの多様性だとか思考の幅を広げるきっかけのようなものを発信できればと思っていた。現在もコツコツと続けている「サッカー本」である。このブログは以前のブログよりアクセス者が多く、半年も早く大台へ乗ってしまった。そのような現状で、意味のある変化がある。アクセス先のページをたまに見ると、サッカー本に取り上げた様々な本へのアクセスが多くなっていることである。ちょっとうれしい変化である。サッカー本に限らず、本を読むきっかけとなればスマホばかりに依存しない新しい生活に出会える可能性がある。

 

韮高のサッカーに特化しないというのは、コロナの影響も大きい。試合を見に行くことができないばかりか、どのような状況かさえ分からない。遠い国のサッカーの試合のようである。

それともう一つ、我が子も韮高を卒業する。我が家は、祖母、母、自分、子供と4代続いて韮崎高校に通った。昭和の初めの韮崎実科高等女学校から始まり、戦後の昭和、平成、令和と4時代にわたって我が家系は韮崎高校で学んだ。今までは、韮高の父兄の視点で文章を綴ることもできた。今後は、直接関わりを持たない1人のOBとしての視点となる。ある意味、意味のある変化である。

 

もちろんサッカーを基軸として、あらゆる学びを得てきたので、これからもそのスタンスは変わらない。変化を恐れないこと、むしろ変化することを愉しむことができれば、人生はより奥深いものになると思っている。また変化を求める時期というのも存在する。そのタイミングを逃してしまうと、平凡で進歩の遅い生活に陥る。個人として、組織としても変化をし続けないで立ち止まっていると、いつまで経っても成長はできない。

 

 

サッカーは芸術であり、哲学であり、人生そのものであるが、それを説明するのは簡単ではないし、そうあるべきなのだと思う。

イビチャ・オシム