ニラニスタ発・蹴球思案処

蹴辞逍遥・晴蹴雨蹴

卒業

卒業

 

3年間が終わった。後ろを振り返れば、高校3年間は終わってしまったことになる。前を向けば、新しい世界のスタートである。

 

すべてに加速化する時代だからこそ、ときに立ち止まって落ち着いて考える。

 

オシムが語った言葉である。韮崎高校を卒業するという節目に、少し立ち止まって落ち着いて考えることは必要だろう。もちろんノスタルジックに振り返ることもありだけれど、やはり冷静に厳しく自らを律しながら回想することの方が良いかもしれない。

思い出したくないこと、今でも心が塞ぎ込んでしまうような経験は誰にでもある。そういったネガティブな記憶や経験の中に、ポジェティブな要素を見いだす知性を身に付けたい。

 

ちょっと前のことのように、思い出すことのできる選手権での敗戦。準々決勝の甲府商戦は、3年間の積み重ねの日々が、油断が、隙が、大切な試合で出てしまった試合だった。コロナの影響で、県総体もインターハイも中止となり、そここそにすべての力を注がなければならなかったのにもかかわらず、持てる力のすべてを出し尽くした試合でもなければ、たとえ負けたとしても次につながる試合とは言い難い敗戦だった。

自分の弱さと真剣に向き合い、苦しい道をあえて選択し、明確な目標に向かってトレーニングをしてきたと思う。それでもなお、何が足りなかったのかをもう一度考えることは無駄ではない。足りなかったのは運かもしれないし、努力かもしれないし、勝利のメンタリティーだったかもしれない。

 

1つ上の学年のように、勝利の喜びをみんなで分かち合うことはできなかった。ゴールした瞬間の歓喜や、試合終了のホイッスルを聞いた時の喜びやカタルシスを味わうことができなかった。

それはそれで終わってしまったことなので仕方がない。さらに高校3年間サッカーを続けてきたことの「成果」はこれから先にそう簡単には出ない。その成果はおそらく違う形となっていつか現れる。それ自体を感触として感じることはできると思っている。自分自身で目に見える形として実感できる人は少ない一方で、気付くことなく、無意識に力を発揮している人がいるのではないか。

 

これまで以上に、自分にとってのサッカーの位置づけを明確にしなければならない。そうすることによって生き方のヒントが見つかるし、心の拠り所となって自信を持って何事にも取り組めるようになる。これからの活躍を期待する。