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『メキシコの青い空』実況席のサッカー20年

サッカー本 0072

 

『メキシコの青い空』実況席のサッカー20年

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著 者 山本 浩

発行所 新潮社

2007年8月30日発行

 

日本サッカーを人の成長に例えるならば、ダイアモンドサッカーの時代は幼少時代。メキシコW杯アジア予選からフランスW杯初出場、02W杯自国開催までが青年時代と言えることができる。数々の挫折や敗北と付き合いながら少しずつ成功体験を積み上げてきた青年時代に、日本代表の試合の実況を担当してきたのが山本浩である。

日本サッカーの夜明け前から日の出まで、僕らは山本浩の静かでそれでいて力強い実況の声と共に日本代表の試合を観てきた。この本は85年W杯メキシコ大会アジア最終予選の日本-韓国戦から、06年W杯ドイツ大会決勝イタリア-フランスまでの著者の実況の思い出と、実況の名言録が綴られている。

 

1985年10月26日、当時、日本が史上もっともW杯に近づいた1戦である。この本のタイトルが『メキシコの青い空』になるほど思い入れの強い試合であり、山本浩の実況の声が耳に懐かしく響いてくる。

 

東京・千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうに、

メキシコの青い空が近づいているような気がします。

 

本大会は著者にとって初めての実況であり、15試合を実況した(当時、日本ではNHKが17試合放送しただけだった)。伝説の5人抜きの実況ももちろん山本浩、そして解説は岡野俊一郎だった。

 

メキシコの青い空以来、日本のサッカーファンは山本浩の名実況と共にサッカーを見続けることとなる。

1993年5月15日、Jリーグ開幕戦

声は、大地からわき上がっています。新しい時代の到来を求める声です。すべての人を魅了する夢、Jリーグ。夢を紡ぐ男たちは揃いました。今、そこに、開幕の足音が聞こえます。1993年5月15日。ヴェルディ川崎横浜マリノス。宿命の対決で幕は上がりました。

 

J開幕の年の秋には、ドーハの悲劇と呼ばれるイラク戦も実況している。そしてすぐにアトランタ五輪予選が始まる。著者が綴っている通り、サッカー界にとっての「悲願」というのがいったい何をさすのか。それは長い間、五輪への出場を意味していた。

 

1996年3月24日 アトランタ五輪アジア地区最終予選 日本-サウジアラビア

今、決まった。笛、笛です。ニッポン勝利の笛。

アトランタに向かって、28年の長い歳月を超えた笛が、今ニッポンの上に吹かれました。2-1。サウジを下しました。

 

1997年9月7日 W杯フランス大会アジア地区最終予選 日本-ウズベキスタン

あれから、4年の歳月が流れました。胸に宿るものが、今またこの瞬間に燃え上がろうとしています。国立競技場い吹いているのは、西からの湿り気を含んだ風。遥かにフランスを想いながら、長い戦いのはじまりです。

 

W杯初出場を勝ち獲るジョホールバルの歓喜の実況は、歴史に残る名実況である。1-1で延長戦に突入する前の実況は、今でも深く心に刻まれている。

1997年11月16日 W杯フランス大会アジア地区第三代表決定戦 日本-イラン

このピッチの上、円陣を組んで、

今、散った日本代表は、

私達にとっては「彼ら」ではありません。

これは「私達」そのものです。

 

 

同時代を生きてきた人にとっては、当時の記憶が蘇る本であり、その時代を知らない人にとっては、追体験と疑似体験ができる完成度が突き抜けている本である。

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