ニラニスタ発・蹴球思案処

蹴辞逍遥・晴蹴雨蹴

マラドーナ体験

マラドーナ体験

 

マラドーナが急逝してからというもの多くの記事を目にし、または意識的に記事を読み、母国アルゼンチンのみならず、全世界に大きな影響を与えたサッカー選手だったなぁと今更ながら痛感している。

 

10代という極めて濃縮されたサッカー生活の中で、マラドーナの占める割合はかなりのものだった。僕がマラドーナを意識したのは、プレーでもなく雑誌の記事やスポーツニュースではなかった。80年代前半のプーマのスパイクである。マラドーナはプーマのスパイクを愛用したので、プーマのスパイクは選びようのないくらいマラドーナシリーズだったと言っていい。マラドーナモデルのスパイクは、外側サイドにはマラドーナのサインがあり、ベロにはマラドーナの顔があった。マラドーナ10、マラドーナスーパー、マラドーナナポリマラドーナキング、マラドーナチャンプと、ちょっと思い浮かべただけでも当時のプーマのスパイクの勢いが分かる。

 

82年スペインワールドカップ、2次リーグでのアルゼンチン-ブラジルの試合でマラドーナは退場してしまった。残念ながらその時のリアルタイムでの記憶は残っていない。ブラジルとアルゼンチンの試合を見てみたいとその時から思いはじめ、その対決が実現したのは8年後の90年イタリアワールドカップ決勝トーナメント1回戦だった。マラドーナのスルーパスは、カニージャへ渡り、決勝点となった。

 

僕に世界の扉を開いて見せてくれたのは、86年メキシコワールドカップマラドーナだった。キャプテン翼ではない、現実のワールドカップをテレビの前で見られたことは大きな財産となった。振り返ればマラドーナの大会であったと言えるけれど、マラドーナのプレーはその当時高校生だった僕に(良い意味で)大きな傷を残した。その傷跡は今でも生き続けている。

 

語り継がれる「神の手」ゴール、そして「5人抜き」ゴールをリアルタイムで目にした時の衝撃は今でも忘れられない。それと共に、ワールドカップの歴史の中でも伝説のゴールになるという直観があった。テレビの前でマラドーナのプレーに釘付けになった何十億人の中の1人であるけれど、5人抜きゴールを目撃してしまった1人でもあること、生涯にわたりこのゴールを見たことを誇りに思えた瞬間であった。

 

僕の大好きな作家にポール・オースターがいる。オースターの作品の中に『ムーン・パレス』という小説がある。

それは人類がはじめて月を歩いた夏だった。

このような書き出しでこの小説が始まる。20代の頃、僕が小説を書こうとするならば、書き出しは『ムーン・パレス』の書き出しをパクッて「それはマラドーナが5人抜きをしてゴールを決めた夏だった」に決めていた。マラドーナの伝説のゴールは、記憶の奥底でもなお衝撃的で喚起力がある。

 

ルコックのユニホームは今も変わらず強烈で、マラドーナのひもの結び方も独特だった。神が舞い降りたような芸術的なプレーとゴール。現在では、枕詞に「神の子」とつけないとマラドーナではない気さえする。敗れた試合後の潔さの対極の表情とコメントは大人げないながらも愛着を感じた。はるか遠くの存在でありながら、とても身近に感じられたサッカー選手であったように思う。僕にとってアルゼンチンという国は「母を訪ねて3千里」ではなく、マラドーナの国である。