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『勝利の時も、敗北の時も』

サッカー本 0073

 

『勝利の時も、敗北の時も』

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 著 者 オスヴァルドアルディレス

発行所 日本放送出版協会

2001年4月25日発行

 

マラドーナと深く関わり、なおかつ日本サッカーにとっても身近なアルゼンチンの人物といえば、オスヴァルドアルディレスであろう。どれくらいの人がオスヴァルドアルディレスという名前を耳にして、サッカーに関わる様々なことを喚起できるのだろうかと想像する。

この本はオスヴァルドアルディレス(オズワルドと呼ばれているがここでは本の通りオスヴァルド)通称・オジーが、02日韓ワールドカップ前、横浜マリノスの監督の時に出版された。日本という国を理解しているので、アルゼンチンとのサッカー比較はとても分かりやすく書かれている。

 

アルディレスの選手時代といえば、78アルゼンチン大会のW杯優勝メンバー、82スペイン大会でのマラドーナとの中盤、アルゼンチン選手として英国初の外国人プレーヤーである。マリオ・ケンペスとは16歳から同じチームでプレーし、マラドーナとはマラドーナが15歳の時に代表チームの穴埋めで入ってきた時からの付き合いである。「スペイン合宿秘話」では、ワールドカップ直前の合宿でマラドーナと一緒に警備の眼を盗んで教会のミサに出かけ、大騒ぎになってしまう。またアルディレス引退試合の時には、マラドーナが駆けつける。2人の仲が特別だったことが分かる。

私にとってもロンドンのサッカーファンにとっても、マラドーナが来てくれることはとても特別なことでした。まず第一に、彼はこの手のゲームにあまり顔を出しません。~略~さらに時期的に86年のメキシコ・ワールドカップマラドーナのためのワールドカップの開幕一ヶ月前だったことでも関心を集めました。

僕の好みでもあるけれど、トップまで成り上がった選手の生い立ち、幼少時代、プロになるまでの話は読んでいてとても興味を魅かれる。2章の「コルドバ時代」が特に読み応えがある。丁寧で優しい文体で書かれていて、まるで童話を読んでいるような錯覚に時に陥る。

「なぜサッカーが好きになったのか?」

それはたぶん、この日本という国でしか存在しない質問でしょう。なぜならアルゼンチンでは、人々はサッカーをしながら成長していくからです。

 

子供のころの話といえば、まず最初に、コルドバでは誰でもサッカーをやるということからにしたほうがいいかもしれません。コルドバだけでなく、アルゼンチン中どこでも、誰もが子供のころからサッカーをします。

 

多くのアルゼンチン人と同様、私もサッカーを始めたのはストリートでした。

サッカーをするためにどこかのクラブに行ってグランドを借りる必要はありませんでした。

トットナムに移籍し、FAカップ連覇を成し遂げ、デュエット歌手の「オジーズ・ドリーム」がヒットチャート1位になるなど、人気絶頂のスーパースターになったアルディレスに悲しいニュースが入ってくる。母国アルゼンチンとイギリスのフォークランド紛争が勃発する。

ある日突然、私が生まれ育った国と自分が住んでいる国が戦争を始めました。それは私にとって衝撃的なことでした。

スペインW杯期間中に戦争が終結するも、戦争の影響でロンドンへは戻れなくなり、パリ・サンジェルマンへレンタル移籍する。翌年、トットナムに復帰。戦争前と戦争後では大きく変わってしまったことに衝撃を受ける。

83年イングランドに戻ってからは、私がアウェーでボールに触れるたびに、口笛を鳴らされ、野次られるようになりました。それはこれまで見たことのないサポーターでした。

 

あの頃は私に対するファウルが厳しければ厳しいほど、人々は喜んでいるように見えました。

そして怪我をしてしまう。選手のピークも過ぎ、2部のチームでプレーを続け、その後は指導者への道へ進んでいく。様々なチームを渡り歩きながら、清水エスパルスの監督への道が開け、日本での生活をすることになる。監督になってからのことも、重く考えさせられることが多い内容である。アルディレスという人物を理解するには、素晴らしい本であり、アルディレスの心の吐露が所々に発見できる。個人的には大切な本の1冊である。

 

 

 

【私的なオジー体験】

オスヴァルドアルディレスと聞いて、選手時代より監督時代の時の方が、僕はイメージがしやすい。オジー清水エスパルスに初めてタイトルをもたらした監督だった。96年のナビスコカップの決勝は思い出に残る1戦である。

まだヴェルディヴェルディ川崎だった頃で、カズも若かった。何としても倒したいヴェルディ川崎を前半0-0、後半2点を入れ突き放すも終盤に立て続けに2失点され延長になってしまった。延長前半で3-2、延長後半に3-3となりPKとなる。時折、小雨の降る寒い夜で、国立競技場のゴール裏で真田がこちらを振り返り、祈った姿が忘れられない。PK戦を5-4で制し、オジーはクラブに初タイトルをもたらした。

ヴェルディ川崎の監督は、清水エスパルス初代監督のレオンだった。オジーがアルゼンチン代表に選ばれ、初めて得点をした時のGKがブラジル代表だったレオンだった。オジーが連れてきたペリマンはオジーの後に監督を引き継ぎ、現在でも最高の時代と語られる清水エスパルスの1時代を築き上げた。多くのものをもたらしたオジーは、エスパルスの歴史に残る名監督の1人である。