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選手権準々決勝 敗戦思案

選手権準々決勝 敗戦思案

 

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甲府商の敗戦をどのように受け入れるのかをいろいろと思案して見た。結論から言えば、これこそが「ザ・高校サッカー」である。あってはならないことが起こりえるという側面からすれば、典型的なザ・高校サッカーであった。端から見れば面白く、当事者にしてみればとんでもない災難である(災難というより自爆か)。

 

選手目線、指導者目線、ファン目線、評論家目線と試合の見方、試合後の感想は山のようにあると思う。同じ方向を向く仲間であっても、それぞれの立ち位置が異なるから、いろいろな考えが出てきても致し方ない。

マッチレポート風であったなら、なぜ負けたのかを分析したのならば、おそらくまとまる。韮高が甲府商に決定的に劣っていたのは「決定力」である。決定機にことごとくネットを揺らすことができなかったならば、負けることを意味する。その兆候は初戦の都留興譲館の試合から現れていた。2試合合わせて(大げさながら)50本以上のシュートは打っていたし、枠内シュート率も高かったと思われる。そのような中、外すことが難しいシュートを入れることができないのだから、負けて当然であった。前の選手がことごとく外していたら、後ろの選手は苛立ち、リズムは悪くなり、チームは綻び始めてもおかしくない。

 

試合開始の怒涛の韮高の攻撃を凌いだ甲府商は、時間の経過とともに韮高に慣れてきた。ゴールに向かう姿勢はもちろん悪くはなかった。ゴールを意識することで相手に脅威を与えていただろうし、それなりに消耗させていたと思う。相手がなんとなく韮高の攻撃に慣れてしまった時には、ゲームプランとしてタッチ数を少なくしてボールを速く動かして、攻撃のリズムを変えても良かったかもしれない。丁寧に外から崩すのか、縦に早い攻撃をするのか、今年の選手だったらもっともっと観ていて面白いサッカーができたのかなと思う。

 

メンタルの面からすれば、やはり甲府商の方が勝つ気持ちが強かったのではないだろうか。韮高の魂の高ぶりは感じられなかったし、勝利へのこだわりは甲府商の方があったと言わざるを得ない。韮崎の地でやっているのにもかかわらず、韮高の霊魂は、どこか遠くにあるようで哀しかった。

12年ぶりの全国選手権への道は閉ざされてしまった。今年は可能性のあるチームだっただけに残念であり、準決勝2試合を見た限りではさらに無念さは募る。

 

 

 

サッカーの場合、目の前の試合はその場の90分で終わる。だが、ひとつの試合を見る度に記憶は蓄えられ、その記憶が次の試合に新たな価値を付け加える。そんな記憶が積み重ねられ、重みを増していくごとに、ファンはサッカーの深い魅力から抜け出せなくなっていくのだ。    岡田康宏