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仲田健二 J3 FC岐阜監督に

仲田健二 J3 FC岐阜監督に

 

韮崎高校出身の仲田健二が、J3FC岐阜の監督に就任した。韮高サッカー部からはJクラブの監督としては2人目である。J3とはいえ、Jリーグの監督になるということは思っているほど簡単なことではない。応援することは言うまでもなく、試合の采配、選手起用など注目しながら、FC岐阜を優しく見守りたい。

 

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FC岐阜オフィシャルサイト】

https://www.fc-gifu.com/news_information/62538.html

 

仲田健二は、小学生から注目されていた選手だった。大柴克友とは小、中、高と一緒にプレーした幼なじみの古い付き合いである。そしてプロになってからもVF甲府で一緒にプレーした時期もある。

初代、ミスターヴァンフォーレと呼ばれ、長い間、チームを引っ張った。負けが続く苦しい時期が長かったけれど、仲田健二がいたから苦しい時期を乗り越えることができ、現在のVF甲府に繋がっていると思っているファンも多いはずである。

顔は見ての通り怖くて、近寄りがたいフェイスではある。とは言うものの内面はその逆である。昨年、韮高が出場した関東大会の時は、仲田健二は水戸ホーリックのトップコーチだった。茨城で行われた関東大会だったので、仲の良いOBが前日に仲田健二に会ってきて、韮高の躍進を喜んでいたと決勝の日に聞いた。

 

仲田健二が指揮を執るFC岐阜は、昨年J2から降格してしまった。僕は全国各地にあるJリーグのチームの中でも岐阜という場所はとりわけ難しい地域であると思っている。ホームタウンが岐阜全域とVF甲府と同様ではあるけれど、地域の成り立ちやサッカーの歴史が大きく違っている。大垣を中心とした西濃地区は西濃運輸サッカー部が存在していたし、さらに昔は加納藩大垣藩とはライバル関係であったので、そう簡単には岐阜は1つにはならないだろうと思っている。いくら選手、スタッフが良くても、それを取り巻く財界、政界、そして一般市民が1つになって地域を盛り上げる気概がないと上手くいくのも上手くいかない。

前途多難なFC岐阜とはいえ、監督になったからにはすべてを出し切ってチャレンジするしかない。山梨から仲田健二監督を応援する人たちが、たくさんいることをつらい時には思い出して欲しい。