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Jリーグ開幕 30年

Jリーグ開幕 30年

 

1993年に誕生したJリーグが30年目を迎えた。オリジナル10の中には30周年の記念すべき年となるチームもある。

30歳以下の人たちには、意識すると当たり前のようにJリーグが身近に存在していたことになる。それ以上の年齢の人たちには、人生を共に歩んできた感がある。

世界のサッカーに追いつけと日本のサッカーは努力してきた。オリンピック出場が目標だった時代から、ワールドカップへ出場する国へと躍進できたのは、Jリーグの誕生なくしては考えられない。

 

2022年のJリーグ選手名鑑に目を通した。じっくりと読むとかなりの時間がかかる。ざっと目を通して思うことは、高校サッカー出身選手よりユース出身の選手が多くなってきたことである。これは、日本サッカー協会の意図したことであり、以前から予想できることであった。今後はそのことがさらに加速されるのか、それとも高校サッカーが良い意味での勢力として残り続けるのかは、楽しく見届ける視点である。

 

『Jリーグ選手名鑑』に目を通して、気になったことを列記する。J1限定で、Jリーグ誕生の1993年に選手としてピッチに立ち、30年後の現在、監督として、コーチ、スタッフとして名を連ねている(僕の中での)有名人がいる。

名古屋グランパス長谷川健太監督、清水エスパルの平岡宏章監督は、特別な存在である。

数年前のプーマカップ、韮崎-清水エスパルスユースが対戦した。清水エスパルスユースの監督は平岡だった。

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韮高つながりで見ると、現役プレーヤーとしては韮高出身の選手は、広島の柏好文選手だけである。広島9年目の今年も開幕スタメンでフル出場した。VF甲府のコーチには大柴克友がいる。そしてJ3のYS横浜の監督は仲田健二である。

 

生き証人の1人として、Jリーグ開幕から観戦しているので、思い出はたくさんある。30年前にピッチに立っていた選手が長谷川健太清水東)や平岡(清水商)以外にもたくさんいる。ガンバ大阪の片野坂監督(鹿実)もその1人である。J3まで名を挙げるとたくさんになるので、J1だけに絞ると、マリノスの松永、ジュピロの中山(当時はヤマハ)、柏の井原、広島の菊池新吉、京都の加藤久である。この歳になると、コーチ、スタッフまでもがかつて目にした選手であったので、感慨深いところがある。

 

今シーズンも楽しみである。心から応援するチームへの勝利の祈りと、期待しすぎる中の歓喜と落胆とが、時代を超えてサッカーの試合にはある。サッカーの進歩や発展が、地域や日本の成長につながることが、逆説的にサッカーの強さに結びつけばいいなと思う。ヨーロッパや南米に比べると、まだまだ時間がかかりそうではあるけれど、そのような時代が到来することを期待したい。