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『ぼくのプレミア・ライフ』

サッカー本 0065

 

『ぼくのプレミア・ライフ』

 

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著 者 ニック・ホーンビィ

訳 者 森田義信

発行所 新潮文庫

2000年3月1日発行

 

手放しに面白いと言える名著である。映画化もされている。イギリスでは100万部以上を売り上げ、WHスポーツ・ブック賞を受賞したスポーツエッセイである。

アーセナルにとりつかれてしまった著者の1968年から1992年までの偏愛に満ちたサポーター人生が書かれている。フットボールが人生の一部というよりも、アーセナルを中心に生活が営まれている。アーセナルを振り返ることは自分を振り返ることであり、ハイベリーでの試合がノスタルジックではなく、昨日のように語られている。情熱的というより熱狂的で、フットボール中毒の症状さえ感じさせる。

 

両親が別居し、その別居した父親にアーセナルの試合に誘われ初めてハイベリーへ行く。スタジアムの観客の言動にショックを受け、アーセナルの試合に魅了されてしまう。著者が11歳の時である。クラスにはアーセナルサポーターは1人だけだった。

70年には父親は海外に引っ越してしまったものの、同級生の兄と友達となりハイベリーへと足を運んだ。試合終了後、黒人少年2人につかまってしまい、殴られ赤と白の(おばあさんからプレゼントされた)スカーフを奪われてしまった。その出来事から階級の存在やいろいろなことを学んでいる。

72年には、「お願いし、せがみ、だだをこね、ようやく母親からアウェイの試合を見に行くお許しをいただいた」。学校へ行っている昼に、母親は長い列に並んでチケットを買ってくれていた。悪名高いフーリガンが乗る電車で怖い思いをする。またその年は、再試合が平日の行われ学校をさぼって試合を見に行く。それほど観客がいないだろうと思っていると、6万3千のシーズン最高の動員だった。

 

僕はフットボールから学んだ。イギリスやヨーロッパの地理的知識は学校ではなく、アウェイのゲームやスポーツ記事で覚えたものだ。フーリガニズムは社会学とフィールドワークの手ほどきをしてくれた。コントロールできないものへ時間と感情を注ぎ込むことの価値についても教えてもらったし、寸分違わぬ目的を持つ人々が形作る共同体に身を置くことの意味も教えてもらった。そして、友人のフロッグといっしょに初めてセルハースト・パークへ行ったとき、ぼくは、死体も目にした。(~略)フットボールは生そのものについても学ばせてくれた。

 

著者は多感な10代をアーセナルを中心にして過ごした。彼女とアーセナルの試合を見に行ったこと、小さい従妹と試合を見て昔の自分を重ね合わせること、父親の再婚相手と試合を見に行ったことなど、アーセナルを通して多くを学び感じている。

 

80年代、著者が社会人になってからのアーセナル人生はそのまま続く。85年のヘーゼルの悲劇、89年の18年ぶりのリーグ優勝は、アーセナル人生では最高の瞬間であった。

思わずうなずいてしまうこと、もやもやとしていた言葉にならない感情を納得いく言葉で表現していること、イングランドフットボール事情、フーリガン全盛の80年代の暴力的なスタジアムと読み応えある内容が詰め込まれている。

 

この本が出版された時は、まだプレミアリーグが存在していない。そしてアーセナルの97年からの黄金時代ははるか先である。著者は「あと20年はヨーロピアン・カップに出られるチャンスなんて来ないだろう」と書いている。そのような歴史的背景からも、名著になる運命はあったのかもしれないと思っている。