春愁 ハルウレイ
「サッカーをとったら、何もない人間になるな」とは、いろいろな場所で聞く言葉である。
とは言うものの、「サッカーのおかげで今の自分がある」ことも事実である。サッカー(スポーツ)は、人間形成、人間陶冶の場である。そういった意味においては、どんな時もサッカーに対して忠誠を誓わなければならない。
どんな時もとは、コロナウイルスに全世界が大きく影響を受けているこの時である。まさかサッカーがこんなにも長い時間止まるとは思いもよらなかった。ちょっと前までは、ホメロスの『イーリアス』やカミュの『ペスト』のようなリアルでいて、リアリティーに欠ける存在だった。サッカー(スポーツ)の価値や意義、文化的側面などを考えても、サッカーが動かないとどうにもならない。朝刊の記事に目が留まった。
試合がなくても、韮高における勝者のメンテリティーは、持ち続けなければならない。自分たちが偉大な高校のサッカー部の一員であることを十分に理解することである。もちろん過去の栄光にすがり、生きるのではなく、現在を見て将来を生きなければならない。
おそらくつらい状況は今後も続く。精神的体力が必要な時である。なんとなくではあるけれど、「高校サッカー」というニュアンスで考えるのではなく、「高校のサッカー」という文脈で考えると、ちょっぴり視野が広がるような気がする。
私は困難な時期には考え抜き、冷静に問題に対処することを好む