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「そんなこともあったな~」と思い出すこと

「そんなこともあったな~」と思い出すこと

 

コロナウイルスの終息どころか、先行きがどうなるか分からない状況である。そんな中、『ELGOLAZO』の紙面でJリーグ検定があった。ふっと力を抜けるひと時である。問題は初級編から超上級編まで100問。超上級編Q89の問題から、インスパイア―され、横浜フリューゲルスのことを思い起こす時間を持つことになった。

 

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当時、僕はJリーグのチームの中では、2番目か3番目に横浜フリューゲルスが好きだった。なので、この問題は当たり前のように解けた。記憶に残る天皇杯の1戦である。1999年、横浜フリューゲルス横浜マリノスに吸収合併され、横浜F・マリノスとなり、横浜フリューゲルスは消滅した。

 

大学時代、横浜トライスター出身のサッカー仲間がいて、「韮高に練習試合を何度も申し込んで断られ続けた」と酔っぱらうと言っていた。その横浜トライスターは、横浜フリューゲルスの全身である。横浜トライスラーが全日空横浜サッカークラブ(通称、全日空)となり、Jリーグに加盟するにあたり全日空佐藤工業サッカークラブ(通称、横浜フリューゲルス)となった。

 

1985年、JFLでの全日空の試合で今では考えられない事件が起こった。「そう言えば、そんなことがあったな~」と、自分なりに記す。

 

全日空-三菱の試合で、キックオフ直前に全日空の選手6人が試合をボイコットした。直前までアップをしていた選手5人とサブの1人が帰ってしまった。試合は控え選手を出場させ、8人でキックオフ。控えGKまで出場させなんとか10人でプレーした。結果は1-6で敗戦。1点は控えGKによる得点だった。

 

試合放棄した6人は「永久追放」となってしまった。ボイコットした6人は来季の契約を更新しないと言い渡された選手だった。相手チームのリスペクトに欠けた行動であり、一緒にプレーする仲間に対しても、所属チームに対しても、スタンドに足を運んだファンに対しても、あってはならない行動だった。

 

今になって振り返ると、当時はアマチュアとプロの境界線もあいまいだった。現在ならば、社員と契約社員が一緒に試合をしているようなものである。様々な立場から見れば、いろいろな見方ができる事件であると思う。企業、選手、ファンという立ち位置。スポーツマンとして、人間として、道徳的観点や企業倫理など、考えさせられる事件である。

そんなこともあったな~と昔を振り返る時、サッカーは人生の縮図だと思い知らされる。

本当にそうなのである。

 

サッカーは人類の情熱の対象である

 

 

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