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『サッカーの記憶』

サッカー本 0060

 

『サッカーの記憶』

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著 者 大住良之

発行所 出版芸術者

2009年5月10日発行

 

現在は多くのサッカージャーナリストがいる。その中でも個人的に尊敬できるサッカージャーナリストは、この本の著者である大住良之氏である。サッカーを見る視点と角度、掘り下げる深さは、文字通り尊敬に値する。それに加え文章力もうならせられる。

 

『サッカーの記憶』は9つのサッカー物語が書かれている。どの物語(試合)も語り継がれる伝説である。時代背景を含め試合以外の情報量がおもいっきり詰め込まれている。映像では表現できない文章力によるスケールの大きさを感じることができる。ドキュメンタリーであり、記録文学といえる完成度の高い本となっている。

 

表紙の後ろ姿のアルゼンチンの10番はマラドーナである。9つの物語の1番初めにマラドーナの物語がある。「神が愛し“神の子”マラドーナ」の試合は、僕はリアルタイムで食い入るように見た。見たというよりも体感し、しびれた。本に書いてある通り、神の手(ゴットハンド)もあったけれど、その後のプレーは、神の降臨であった。

 

ボビー・ムーアの遺産」あとがきにかえて 抜粋

「何でもあり」であるはずのサッカーのゲームが一定の形をなす背景には、先人たちが見せてきたプレーやスタイルが記憶され、イメージとしてプレーヤーたちに共有されているという事実がある。そのイメージがあるからこそ、プレーヤーたちは一定の「常識」のもとに自然に動き、パスを受け渡すことができるのだ。

プレー方法だけではない。先人のプレーヤーたちの人格、ひとつのチームがたどった足跡、困難に直面したときの振る舞いなど、先人たちのあらゆるイメージが後輩たちに記憶され、なぞられる。サッカー・プレーヤーは、そうした「記憶」から逃れることはできない。そしてその「記憶」のうえに自らの個性や特徴、そして哲学などを積み上げ、プレーヤーとして自らのアイデンティティーをつくっていくのだ。

 

ネットでは多くのサッカーの情報がある。そのネットでの記事を読む時、誰が書いているかを意識して見ることは、氾濫している情報をある程度見極めることのできる手段である。その意味において、大住良之氏の書く文章は勉強になると共に、違うジャーナリストや記者の良し悪しを判断できるものであると思っている。