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『I AM ZLATAN』 ズラタン・イブラヒモビッチ自伝

10月サッカー本
 
『I AM ZLATAN』 ズラタン・イブラヒモビッチ自伝

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 著 者 ズラタン・イブラヒモビッチ
    ダビド・ラーゲルクランツ
訳 者 沖山ナオミ
発行所 東邦出版
2012年12月19日発行
 
世界的ストライカー、ズラタン・イブラヒモビッチの自伝である。サッカー選手の自伝の中では(調べていない)、一番発行部数が多い自伝で、最も多くの人に読まれた本ではないかと思う。
訳者あとがきにある通り、2011年11月にスウェーデン、イタリア同時に発売され、1ヶ月での売り上げがスウェーデン50万部、イタリア20万部に達した。ノルウェーデンマーク、オランダ、ポーランドボスニアクロアチアと多くの国で翻訳出版されている。日本でも1年後発売された。手元にある本は、発売1ヶ月で第3版と重版された本である。サッカー本としては、例のない話題となった自伝である。
 
もしサッカー選手の自伝を薦めるとすれば、間違いなくこの本を薦める。この本は単なるサッカー選手の自伝ではなく、優れた文学作品として読めるし、ヨーロッパ移民史としても読むことができる。
最近のサッカー選手の自伝、ネイマール、メッシ、C・ロナウドスアレスエジルグリーズマン、ノイヤーなどの自伝と決定的に違う点は、本を出版する時期である。サッカー選手のキャリアとして、ある程度の切りのいいところ、例えばW杯やチャンピオンズリーグ、名誉ある受賞などの際に記念的に本が出版されがちだけれど、ズラタンの自伝はこの本の出版の後もキャリアが続くことである(翌年はセリエA得点王、パリ・サンジェルマンマンチェスター・ユナイテッドと現在まで続いている)。「なぜこのタイミングで」と思わざるを得ない出版の仕方である。
 
ズラタンのプロになってからの活躍は確かに面白い。ペップとの確執やモウリーニョカペッロとの逸話など有名監督、有名プレーヤーとの関係が赤裸々に描かれている。けれどズラタンがマルメFFでトップチームになるまでの前半の5分の1くらいが読み応えがある。そこをしっかりと読み込めば、さらに最後の最後で涙することができる。そしてイブラヒモビッチのプレーを見た人ならば、どうしてあんなに激しく、憎しみにも似た怒りに満ちたプレーをするのだろうと思う。けれど、この本を読めば納得できるし、そのプレーそのものにシンパシーを感じることさえできる。
 
ズラタンはローセンゴードという移民地区に生まれた。2歳で両親が離婚したズラタンの幼少時代は、悲惨な環境だった。1日14時間の清掃婦の仕事をしていた母は、生きるために必死で子供は後回しだった。9歳の時、父親に引き取られ父親との生活が始まる。「冷蔵庫に何か入っていますように」と祈りながら家に帰っても、冷蔵庫はからっぽで食べ物がなく、母親の家に行ってご飯を食べさせてもらった。父親は旧ユーゴの紛争の辛さのために酒に溺れていた。その当時を振り返って、「俺は歯を食いしばって前に進むことを学んだぜ。辛い思いを心に留めつつも、さらに頑張ることを覚えた」ズラタンは回顧する。
 
サッカーチームに入っても「誰がこのゴキブリ野郎をいれたんだ」と疎まれる。送り迎えの親たちがいる中で、1人で練習場に行き、良いプレーをしたときは父親に見てもらいたいと思っている。そんな時、父親が突拍子もなくマルメFFに入って見たらどうだと進めた。その一言でズラタンはトライアルを受ける。血統書付きのスウェーデン人ばかりの中で、親たちがズラタンの退会署名運動を始める。そんな中、嘆願書の発起人の子供に練習中頭突きを食らわせてしまった。監督は嘆願書を見て「これが何だっていうんだ?」とだけ言って破り捨てた。「俺みたいなヤツが周りから認められるためには、スウェーデン人選手の5倍くらいうまくならないといけないってことだ。そのためにはきつい練習を10倍はしないといけない。それができなければ、ただの1度のチャンスも、モノにできない」ズラタンは思った。
自宅から7キロ離れた練習場だったので、ズラタンは自転車を盗んでしまう。そしてその自転車の持ち主が尊敬するコーチのものだった。それ以来、何か物がなくなるとズラタンのせいになってしまった。
他のチームメイトが高いスパイクを履いているのに、ズラタンはディスカウントショップで野菜と一緒に並べられているスパイクだった。国外の遠征の小遣いは2000クローナに対しズラタンは20クローナであった。
トップチームに上がったズラタンを父親が初めて見に来た。ズラタンは「人生の中でもっとも重要な瞬間の1つ」だと語っている。
 
その後のキャリアは波乱万丈でありながら、名実ともに成り上がっていくズラタンである。幼い時に練習した母親の家の近くの広場を改修したり、ユース時代に走りのトレーニングをしているときに見ていた高級住宅街の家を手に入れたりと、自らが語るように夢物語である。有名になってからのゲーム友達、ベビーシッターを探す時の事、スキーでの出来事など、試合以外のこともたくさん書かれている。もちろん2002年の日本でのワールドカップのことも。
腰をしっかり据えて、覚悟して読むべき本であると思う。「少年がローセンゴードを抜け出すことは簡単だが、少年の心からローセンゴードを取り去ることはできない ズラタン」。この言葉が、最後に突き刺さる本である。