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『サッカー わが人生 』ペレ自伝

サッカー本 0100

 

『サッカー わが人生 』ペレ自伝

著 者 エドソン・ペレ

訳 者 鈴木武

発行所 講談社

1977年6月8日発行

 

カタールW杯が終わった年末、ペレの死去のニュースが世界中を駆け巡り、世界中のサッカーファンに衝撃を与えた。僕もその1人であり、哀悼の意を込めてペレの本を紹介する。この本は僕のサッカー本コレクションの中でも大切な1冊である。2008年に発売されたペレの自伝は2冊目であり、この本はペレの自伝の1番最初のものである。1977年4月に発売され、2ヶ月後には翻訳され日本で発売された。

この自伝の特徴は、本の中でペレの華やかなプロサッカー時代のことは、半分ほどしか割かれていないことである。そのほとんどが4回出場したワールドカップのことである。サッカーが人生そのもののペレの自伝の残りのページは、幼少期、少年期、妻との出会いからのことで占められている。

 

いつもだれかと喧嘩ばかりしていた子供時代は、ペレが原因でスタジアムの大乱闘が起きたこと、貧乏でサッカー用具が買い揃えられなかったこと、小学校4年を6年かけて卒業したことなど、大人になっても忘れられない出来事が記されている。

父、母のペレへの愛情とその影響は絶大である。父にタバコをすっているところを見つかってしまったエピソードがある。その時の父親のペレへの接し方で、ペレはタバコを吸わなくなった。

私はビンタを覚悟していたのだが、全く正反対のことが起こった。父は私を引き寄せ、片手を私の肩に置いて、友だちに向かって話しかけるような調子でいった。

~略~

この日の父の話は忘れることのできないものであった。それからというもの私は、一度もたばこを口にしたことはないし、欲しいと思ったこともなかった。

 

母のペレへの接し方も素晴らしい。12歳のペレが市長杯で優勝し、得点王になった。

家に帰ると、母もにっこりして、私をしっかりと抱き「おめでとう」と言ってくれた。

「ママ。みんながぼくのことをほめてくれたんだ。聞かせたかったよ。~略~それからね。ぼくは36クルゼイロももらったんだ。スタンドから投げ込まれたお金なんだけどね。得点王なんだから、お前がもらっとけって、仲間たちがよこしたんだ。~略~」。

36クルゼイロは、当時の私の家では大金だった。なにしろ3キロの米、3キロの豆、0.5キロのコーヒー、それにまだ砂糖を買える金額だった。

だが母は、そのお金を私が一人占めすることに反対した。

「お前一人でもらってはいけません。ご飯が終わったら、みんなに分けてあげにいきなさい」

 

小学校をやっとのことで卒業し、靴工場で働きながらサッカーを続けた14歳のペレに、スカウトが来る。父親は賛成の一方で、母親はまだ子供だということで反対する。その話はなくなりペレはホッとする。

翌年、15歳のペレにサントスからプロの誘いがくる。旅立ちの日、プロ生活スタートの文章は一読に値する。クラブでの最初の食事は、家とは比べものにならないくらいのごちそうがでたこと、子供のころからのあこがれていた海を見たこと、2度の脱走の試みなど、ホームシックになったペレの忘れることのできない記憶が綴られている。

1番目の妻(この本出版当時はまだ離婚していない)との出会いから結婚までのエピソードもペレの記憶には強烈に残っているようである。試合を控え合宿中に、同じ敷地内の体育館でバスケットをしていた14歳のロゼメリーに初めて出会い、会話をする。試合翌日にロゼメリーの情報を得て、世界チャンピオンであるペレはバイト先のレコード店に向かった。

「こんにちは」

「ぼく・・・・覚えてる?」

「もちろんよ。あなたペレじゃないの」

~略~

「それじゃ、試合見た?」

「いいえ。サッカーは好きじゃないの」

~略~

そのころの私の不安といえば、ロゼがサッカースターのペレではなく、人間ペレに魅力を感じてくれているかどうかだった。

私は、自分自身に対して何の幻想も抱いてはいなかった。人間ペレは、背は高くないし、ハンサムでもないし・・・。しかも黒人だったし・・・。

 

現在のスーパースターの自伝ではこのような記述は見当たらない。46年もの月日に耐えたペレの自伝は、そのような意味においても貴重な自伝である。そして時代の流行り廃りに関係なく新鮮であり重い。もちろんペレの自伝であるからという面もかなりあるけれど。

世界中のサッカーファンが抱くブラジルらしさ、ブラジルたらしめるサッカーは、ペレから始まったと言っても良い。ポジション別に割り当てられた背番号が、ペレの出現によって大きく変化した。10番というポジションを示す背番号が、単なる10番ではなく、多くの期待と夢と希望を背負う番号に変わった。誰もが試合が始まって探す背番号は10番であり、一生に1回はつけたいと思う背番号は10番である。潜在的な記憶と重みを10番に与えたのは、まぎれもなくペレの偉業である。