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『進化する日本サッカー』

4月サッカー本
 
『進化する日本サッカー』

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著 者 忠鉢信一
発行所 集英社
2001年12月19日発行
 
前月紹介した本の監修者であり、同世代の仲間が執筆した本である。2002年日韓ワールドカップ前は、驚くほど多くのサッカー関係の出版物が発売された。空前のサッカー本の出版ラッシュの中で出版された本である。
日本がワールドカップの出場権を勝ち取り、日本でワールドカップが開催されるまでの、日本サッカー強化の歴史を著者は綴っている。著者が言いたいことは、(簡単にまとめてしまうと)「日本代表がワールドカップ出場を果たすまで強くなったのは、若手の育成を充実させてきたからである」ということである。
 
この本は、日本サッカーの大きな歴史の中で、さらに一歩踏み込んだサッカー史である。主に70年代から90年代までの育成史である。選手を育成する指導者を育成し、育った指導者が選手を育成し、その選手が日本サッカーを強くしていったという史実を記している。
 
読む、読まないに関わらず、こういった種類のサッカー本もあるということを、知識として持っておくのもよいのではないかと思う。
 
【個人的な本に対しての想い】
個人的にこういったサッカー史に惹き付けられるのは、僕自身がサッカーを始めた若かりし頃からのサッカー人生と日本サッカーの強化の取り組みが一致するからである。
77年、セントラル・トレーニング・センター(CTC)を開設し、80年にナショナル・トレーニング・センターを開設する。現在のナショナルトレセンの始まりである。16歳以下の日本ジュニアユース代表を結成し、翌年には国際大会に出場する。83年大会に著者もジュニアユース日本代表として出場している。そして僕の中学のサッカー仲間も代表に選ばれて、国際試合を経験している。当時、ダイアモンドサッカーしか映像での情報はなく、トヨタカップも始まったばかりだった時代に、同年代の世界のサッカーや日本のサッカーの生の話を聞くのは、とても新鮮で異国の物語のようだった。
 
この本の最後に『全日本選抜中学生サッカー大会資料』があり、第1回大会(1978年)から第20回大会までの最優秀選手名簿がある。日本代表やJリーグで活躍した選手がたくさん名を連ねている。その中で韮高サッカー部に進んだ優秀選手が4名いた。この大会、トレセンシステムから発掘された中田英寿は有名であるけれど、僕の世代の高校時代の仲間が選ばれていた。この本を読んだとき、その仲間に電話をして確認すると、「確か選ばれていたな~」と懐かしく話していた。高校入学の時、そんなことは話題にも上らず、「鳴り物入り」でもなんでもなかった。本人もそんなことは全く話さなかった。今思えば、「そんなこと」ではなく「すごいこと」だったのに、おそらくこのことは、知っている仲間は少ない。なんと言っても、その仲間は関東トレセンでGKをしていたのにもかかわらず、高校ではDFにポジションチェンジした。いつもながら、仲間の名前が間違っていた。選手登録の名前がすでに間違っていたそうで、せっかくの優秀選手の名前も間違っていた。ついでながら、「著者や中学の仲間と一緒にプレーしたのか」と聞くと「あいつらはナショナルトレセンなので、チームが違っていた」とのことだった。
 
ふと、昔のことを思う。僕らの世代は、関東トレセンの選考会やその後の関東選抜の練習に参加するときには、親は韮崎駅までしか送っていかなかった。みんな普通電車で3時間もかけて東京の練習会場へ行った。だいたい試合もほとんど見に来なかったのだから、練習なんか見に行くという発想もなかった。
 
『進化する日本のサッカー』というタイトルを改めて考えると、サッカーを取り巻く環境が劇的に変化し、進化している。筆者のあとがきの通りである。
 
昔の日本の指導者たちは欧州や南米の一流のサッカー国と自分たちを見比べて、その差の大きさに途方にくれていた。彼らに追いついてワールドカップに出ようという発想は夢でしかなかった。~略~指導者養成と若手育成は二つのカギだった。サッカーを進化させる二つの鍵だ。~略~世界中を見渡して、この鍵を持たずに世界の強豪になった国はない。サッカーについて語るとき、この二つの鍵を思い出して欲しい。