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『サッカー文化の構図』 熱狂の文化装置論

5月サッカー本
 
『サッカー文化の構図』 熱狂の文化装置論

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編 者 鈴木 守・戸苅 晴彦
発行所 道和書院
2004年7月30日発行
 
この本は、難しい部類に入る本である。おそらく、大学の講義に使用されるテキストであり、一般にはあんまり読まれない本ではないかと思う。執筆者全員が、サッカーへの熱い情熱を持っている方で、主に上智大学系の学閥の方が多い。
 
「たかがスポーツ」の一競技種目にすぎないサッカーが、世界中の人々の心を占領し、揺さぶり、その感情の集団的吐露がエネルギーとなって熱狂空間を生み出す現象は、「競技としてのサッカー」の枠組みだけでは説明不可能である。つまり「文化としてのサッカー」という視点を抜きにしてその熱狂を理解することはできないのである
 
あとがきで本書のねらいを、サッカーの文化的仕組みへのアプローチであると、述べている。個人的に興味のある分野なので、事あるごとにページをめくっている。とくに何回も読み返すところは、Ⅲ章・制度編の山本理人氏の書いた『サッカーという文化の「学び」』である。
 
サッカーは、その国が醸し出す文化や風土を感じることができるスポーツの一つである。~略~世界各国のサッカーには独自の文化や風土が染み込んでいる。これらは技術や戦術といったプレーに直接関わるものだけでなく、観戦の仕方や生活に占めるサッカーの「重み」(意味や価値)、地域アイデンティティとの関わりなどに至るまで多岐にわっている。
 
筆者が述べるように、サッカー(スポーツ)にどのような意味や価値をみいだしているのか、文化としてのサッカーが生活の中にどのように位置づけられているのかは、世界各国、そして日本の地域、山梨、韮崎という枠で考えて見る価値はある。我々の地域には古くから韮崎高校サッカー部があり、ヴァンフォーレ甲府(昔は甲府クラブ)が存在する。さらに筆者は次のように展開する。
 
スポーツ、とりわけサッカーにどのような意味が見いだされ、サッカーに日々どのように関わっているのかということが、サッカーに対する自分自身の「意味」を形成することになるのであり、特に子どもの時代にはその意味形成が顕著である。~略~サッカーという文化を学ぶことは、サッカーを好きになること、サッカーの技術や戦術を見につけることなどを核としながら、ライフスタイルの中にどのようにサッカーを位置づけるか、そのようなことを通して自分が住んでいる地域とどのような関わりを持つか、というような自分自身にとってサッカーの意味を形成していくことに他ならない。
 
この本のさらに勉強になる点は、各筆者が論文を執筆するにあたり、参考文献にした本、資料が載っていることである。僕もそこから随分、色々な本を読ませてもらった。P・ミニョン『サッカーの情念』、J・リーバー『サッカー狂の社会学』などがそうである。
スポーツ心理学、スポーツ科学、スポーツマーケティング、スポーツマネジメント、サッカーにおけるナショナリズムグローバリズムなど、サッカーを文化装置という大きな視点から論ずる文章は、とても興味深い。
もう一度、大学で勉強できるならば(戻りたいとは思わないけれど)、サッカーについて勉強したいと思わせる本である。