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『ディナモ』ナチスに消されたフットボーラー

4月サッカー本
 
ディナモナチスに消されたフットボーラー

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著 者 アンディ・ドゥーガン
訳 者 千葉茂樹
 
発行所 
2004年10月5日発行
 
サッカーと戦争というテーマの中で一番有名な「死の試合」。その史実が記されている歴史ノンフィクション本である。
1941年1月ドイツのバルバロッサ作戦により、ドイツがソ連に攻め込んだ。半年後にキエフは陥落する。ナチス占領下での民族浄化が開始される。わずか2カ月のうちに10万人のキエフ市民が殺害された。そして飢えとの闘いが始まった。キエフ奪還されるまでの約3年間で32万人以上が命を落とした。戦争が始まる前にはキエフの街は40万を越えていた。生き残った市民はたった8万しかいなかった。
 
戦争前から街の誇りであり、シンボリック的な存在であった「ディナモ・キエフ」というサッカーのクラブチームがあった。一般市民と同様、戦争に巻き込まれた選手たちは妻、子どもを避難させ、キエフに残り祖国を守るために戦う。しかしナチスドイツに占領されてしまう。
ナチスヒトラー下の生活の方がスターリン下の生活より好ましいという思想戦略を行う。軍事政権下、「ルク」というチームを結成しサッカーを再開させる。「ルク」はドイツ軍の政治的意図で作られたチームであった。そのため昔からあるクラブチームのディナモやロコモティフの選手たちが主義に反し、仲間を裏切って契約書にサインすることはなかった。散らばっていた元ディナモ・キエフの選手たちが集まり、FCスタートというチームを結成した。
 
第1戦 FCスタート 7-2 ルク
第2戦 FCスタート 6-2 ハンガリー駐屯部隊
第3戦 FCスタート 11-0 ルーマニア駐屯部隊
第4戦 FCスタート 6-0 PGSドイツ軍
 
占領国のチームに勝ったことで状況がガラッと変わってしまった。政治の力がサッカーの場に介入してきた。ただでさえ、戦争捕虜であり24時間体制でパン工場で働き、飢えとギリギリの生活をしている選手と、栄養、休暇とも満足な兵士との差は明らかである。またスパイクはない選手がほとんどのFCスタートの選手である。そんな環境下での勝利でさえ、奇跡である。あからさまなジャッジ。ファールにせよオフサイドにせよ審判を含め試合はいつも11対14である。彼らの支えは「祖国の上」でプレーしていることと、武器はなくてもピッチでは戦って勝利することが出来るという誇りであった。
 
最終節 FCスタート 5-1 ハンガリーMGSウォル
 
開始早々のMGSウォルの選手が怪我で退場になった(当時のルールは交代なし)。政治の力が介入し、リベンジマッチになった。キエフ市民にとっては法外な入場料にもかかわらず。最多の観客が集まった。同じパン工場で選手に、自らの食糧もままならない市民が指し入れをしたり、ルーマニア人がこっそり食糧を持ってきてくれたりした。
 
リベンジマッチ FCスタート 3-2 ハンガリーMGSウォル
 
占領国ドイツにとって、FCスタートがキエフ市民に与えた希望は、ただちに徹底的に打ち砕かなければならなかった。それはサッカーのフィールドでドイツチームに叩きのめされる形で実現されなければならない。シーズンは再延長された。フラッケルというドイツ空軍チームに5-1で勝利するが、公式記録は、ナチスドイツにより残っていない。
 
翌週、再戦となりそこには多くの観客が集まった。人数の力を得てウクライナの伝統的な歌を合唱する声を耳にすることができた。ナチスの制服をまとった審判がロッカールームに入ってきて、試合前にナイス式敬礼「ハイル・ヒトラー」を唱えて試合を始めろと言った。市の当局者がやってきて「この試合は勝つべきではない」と忠告した。
 
ここからは長くなるので割愛する。是非、一読をお勧めする本である。
 
第10章「許されざる勝利」
彼はディフェンダーすべてをドリブルでかわし、最後にはキーパーまでかわしてしまった。彼はそのままゴールラインまでボールを運んだが、ボールを蹴り込むことはせず、ゴールラインの上でぴたりと止まった。それからゴールの中に走り込んで、ピッチの中にボールを蹴りだしてしまった。
 
第11章 「報復」
ゲジュタボによる選手の逮捕が始まる。執拗な尋問と拷問。
 
第12章 「死のキャンプ」
シレッツ収容所での強制労働
 
第13章 「英雄たちの死」
 
 
ディナモ・キエフのホームスタジアムには4人の記念碑がある。クラブのサポーター、そしてキエフ市民にとってそれは単なる銅像ではない。ディナモ・キエフのプレーヤーに選ばれることが、ただ単にサッカーチームでプレーすること以上の意味を持つ。アンドリー・シェフチェンコもこのクラブ出身である。
現在もウクライナはヨーロッパの最貧国の1つである。この本を通じて、ウクライナについて、またはロシアについて勉強をすることも楽しいのではないかと思う。僕にとっては思い入れの強い本である。