ニラニスタ発・蹴球思案処

蹴辞逍遥・晴蹴雨蹴

『浦和・埼玉サッカーの記憶』110年目の証言と提言

サッカー本 0061

 

『浦和・埼玉サッカーの記憶』110年目の証言と提言

 

f:id:nirasakishikibu:20200421054915j:plain

編 集 豊田充穂 椛沢佑一

発行所 フットボールタウン

2019年6月17日発行

 

フリーマガジン『浦和フットボール通信』の創刊10周年企画として出版された本である。

生まれ育った郷土が、サッカーと密接につながっている街というのは、日本でも数少ない。現在も繁栄し続けている街はもっと少ない。全国の中でも浦和は歴史、規模、熱量からしても「サッカーのまち」として屈指である。素晴らしい選手が次から次へと生み出される土壌、浦和レッズを頂点として、伝統のある高校、小さなクラブチームまでサッカー御三家として日本サッカー史にはどの時代にもその名を知らしめている。

明治新政府が近代国家システムを学んだように、20世紀初頭の日本はスポーツや文化においてもヨーロッパ、とりわけ英国の先進性を追っていた。明治41年(1908年)、当時の日本教育界の“総本山”東京高等師範学校を卒業して埼玉師範学校に赴任した教師は、自ら材木店で角材を求め、校庭の土のグランドに「ゴールポスト」を立てた。当時まだ24歳の青年だったこの教官の名前は細木史郎。110年にもおよぶ浦和・埼玉の時間がここから動き始めた。

「語り継ぐ浦和・埼玉サッカー名勝負」全30戦が、110年の歴史の中から選ばれている。全30戦は「高校全国制覇名勝負10番」、「日本代表名勝負10番」、「浦和レッズ名勝負10番」に分けられていて、サッカー王国とその誇りに満ち溢れている文章は読み応えがあり、その言葉の1つ1つが重い。

 

「高校全国制覇名勝負10番」の9番目に、武南高校-韮崎高校の1戦が入っている。武南-韮崎の選手権決勝に詰めかけた観客は5万8千。

王者浦和南を県予選決勝でPK戦の末に退けた武南高校は、パスワークやサイドチェンジの展開を活かした華麗な攻めで地元サッカーに新風を吹き込んだ。選手権決勝の相手は名将・横森巧監督が率いる韮崎高校。「H2O」の異名で知られた3人(保坂孝、羽中田昌、大柴剛)はマスコミ大注目の攻撃トリオを擁して優勝候補筆頭だった。

武南の優勝を最後に、埼玉代表の選手権は今現在までない。平成の30年は無冠で終わった。育成の豊饒な土壌かあるが故に、そして利便性の良い土地故に、選択肢の多さが人材流出を招くのは仕方がないことである。

 

個人的な体験であるけれど、埼玉のサッカーは静岡や東京や神奈川とはまた違った気質がある。埼玉特有のサッカー観を持っていた。都会的に洗練されているわけでもなければ、田舎的な泥臭さみたいなところもない。なんとなく無色透明なサッカーで、黙々とサッカーに打ち込み、勝てそうで勝てない相手であるような感覚である。

1937年埼玉師範の初の全国制覇の際にも凱旋したイレブンを「シーザーを迎えるローマ市民のごとく歓呼を送った」という新聞記述があるとおり、80年以上前からこの街では地元のサッカーチームを応援することの意味を多くの人が知っており、サッカー通じて人を育て、その子供たちが全国の舞台で活躍してきた歴史があります。その思いを大事にして、現在も継承されています。まさにこれは浦和・埼玉の大切な文化であり、これを大切な地域資産としても伝承していかなければならないと考えます。

本の最後の半分は、浦和・埼玉に深く関わってきた方々の寄稿、対談、インタビューを目にすることができる。サッカーに対する情熱、熱気、パワーを感じることができ、サッカー文化が根差した街であることが伝わってくる素晴らしい本である。