ニラニスタ発・蹴球思案処

蹴辞逍遥・晴蹴雨蹴

時勢2

時勢2

 

サッカーとは直接関係ないけれど時の勢いを感じることができるので、文字にしておかなければならないと思う。思い返せば、2006年(もう17年も前になる)山梨学院がサッカーに力を入れ始めた年だった。そこから3年後の09年には、韮高が選手権準決勝で初めて学院に負けた。勢いそのまま学院は選手権初出場、全国制覇という快挙を成し遂げてしまった。

今年のラクビー新人戦、学院が日川を破った。山梨の絶対王者日川の不敗神話は15年間続いた。15年という長い年月、県内では負けたことがなかった日川が、ついに敗れる日か訪れてしまった。相手は山梨学院。僕にとっては、韮高サッカー部の歩んだ歴史とシンクロするような出来事だった。抗うことができないような山梨学院の勢いを感じる。幸いなことに、花園への切符は手渡してはいないので、今年の秋の大会に注目したい。韮高のようにならないように、もちろん日川を応援する。

【山梨日々新聞 23.1.29記事】

「歴史は、それを考えるよりも以前に、遠い世界の空気を出来るだけ正確に感じることが大切である」

司馬遼太郎が言っているように、その時代の背景を捉える必要がある。どのような変化が、現在進行形の部活の現場で起きているのだろうか。公立と私学の格差は広がる一方であり、また教職員の「働き方改革」による活動そのものの在り方にも変化の兆しが出てきている。マンパワーだけでは限界があり、W杯やオリンピックと同様、お金(財源)がそのまま育成、強化に直結するような様相も感じられる。世界のサッカーではすでにマネーによる力関係が当たり前となっている。

将来を見据え、どのような理念や哲学を持ち、方向付けしていくのかはとても難しい。1番理想なのは、高校サッカーにおける公立高校の存在意義や斬新性を、韮崎高校が全国の先頭に立って発信、実践することだと思う。全国から注目されるようなアイデアがあり、運営がありサッカーがあれば、これからの時代を担っていけるような気がする。選手、指導者、学校だけではおそらく厳しい。地域、OBなど多くの協力者、賛同者、理解者が必要で、そういう面からすると規模的には韮崎という地は、コンパクトで機動力が発揮しやすい大きさなのかなと思う。地域社会にとって、スポーツ(サッカー)とは何なのか。自分自身にとってサッカーとは何なのか。自分の人生の意味を見つけたり、価値を見つけたりするきっかけとなれば素晴らしいと思う。また「生きること」ではなく「より良く生きる」ための1つのツールでもありたい。