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『ヨハン・クライフ「美しく勝利せよ」』

3月24日、20世紀最高のプレーヤーの一人、永遠の14番、ヨハン・クライフが68歳で死去した。哀悼の意を込め、今月のサッカー本にする。
 
ヨハン・クライフ「美しく勝利せよ」』

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著 者 フリーツ・バーランド/ヘンク・ファンドープ
監 訳 金子達仁

発行所 二見書房
1999年12月25日発行
 
本書のタイトル「美しく勝利せよ」はクライフの名言の一つである。クライフは(クライフを知っているという前提で進める)選手として監督として徹底的に「美しさ」にこだわった。サッカー選手ではなく自らを芸術家として意識し、サッカー競技という芸術を確立させた最初の選手でもある。
 
クライフに影響されたサッカープレーヤーは数多い。その一人、身近な方では羽中田さんである。クライフに憧れスペイン・バルセロナまでサッカー修行に行ってしまうくらいである。『いつかきっと』の最初の一文はクライフから始まる。
 
 小学四年生のときにワールドカップで見たオランダ人、ヨハン・クライフに憧れサッカーボールを追い続けた。
 いつの日か彼のようなプレーヤーになりたい、その思いが僕のサッカー人生をサッカー一色に染めたといっていい。
 
世界の有名なプレーヤーもクライフに染められている。アーセナル時代のアンリは背番号14をつけていた。シャビ・アロンソもビッククラブを渡り歩きながら14をつけている。プラティニ、ハジ、フトイチコフもクライフに感化された選手であった。クライフと背番号14は同義である。
 
今では当たり前のフェイントになってしまった「クライフターン」。サッカーのフェイントの中で人の名前が付いたものはない。それほどクライフのクライフターンは印象的だった。
 

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日本でのワールドカップ中継、1974年大会は初めてのカラー放送だった。衝撃的なオレンジ。そしてトータルフットボール。それはサッカーの世界にとって「革命」だった。クライフを中心にしたオランダのサッカーは、サッカーの世界観が180度変わってしまう革命的サッカーであった。今でも語り継がれる大会である。
 
本書はクライフが50歳の誕生日を記念して出版された。
原題は「アヤックスバルセロナ、クライフ」である。『Ajax Barcelona Cruyff』。
「クライフよる近代フットボールのABCである」と監訳者が言っている。現代サッカーが学ばなければいけない、近代フットボールが多角的に学べる。
 
今考えると、僕自身が読んだサッカー本の多くはクライフに影響され、派生した読書だったように思える。羽中田さんから始まり、クライフを育てたミケルス、そしてファン・ハール、教え子のグアルディオラ関係の本、そしてバルセロナ。サッカーを学ぶに当たり、何か指標のようなものが必要であるとしたら、クライフを勉強するのがよい。現代サッカーが失ってしまった哲学、戦術がクライフという人間そのものに存在する。サッカーは進化する。次世代のサッカーがどのように進化するかは分からない。しかしクライフを学ぶことにより、より柔軟により冷静に次世代のサッカーを見る準備が出来ると思う。
 
・・・と綴ってしまった後に、本をぺらぺらとめくり、監訳者のあとがきに目が止まってしまった。そちらの方が素晴らしい文章なので載せておく。

トータルフットボールをプレーヤーとして現実のものとしたばかりか、監督としてプレーヤーに伝えることまでやってのけた稀有な人物は、果たしてどんなサッカー観をもっているのか。本書には、その知名度の割には伝えられていなかったヨハン・クライフの考え方が、あますところなく紹介されている。賛同するか、反発するかはともかく、彼の考え方を知ることによって、今後あなたのサッカーについて、あるいは他のスポーツについて判断を下す上での一つの基準となることはほぼ間違いない。
 
最後に個人的ではあるけれど、クライフに最も接近できた時の事を綴りたい。1992年、トヨタカップ。エル・ドリーム・チームと言われたFCバルセロナを率いて、クライフが監督として日本にやってきた。対戦相手はサンパウロFC。サンパウロFCの監督はこれもまた有名なテレ・サンターナ。僕はその試合を観戦に行った。というより試合をする選手を見に行ったといってよい。クライフ率いるバルセロナクーマン、グラルディオラ、ラウドルップ、ストイーチコフ、ハジ、ゴイコエチアと錚錚たるメンバーである。サンパウロも負けていない。トニーニョ・セレーゾミューレル、ライー、カフージュニーニョとタレント揃いだった。20年以上経った今でもその時の雰囲気、そして試合、選手をリアルに思いだせる。世界屈指の選手達と同じ空間にいることを幸せに感じた。今では携帯で写真や動画を残しておける。その頃は写真さえ撮らなかった。チケットが残っているだけである。Jリーグ開幕する前年で、今では何万とするチケットも昔は安かった。

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「美しいサッカー」を追求し続けたクライフ。僕らは100年に1人の天才クライフの意志をしっかりと後世に引き継がなければならない。クライフのサッカー観、哲学は必ずや再評価されるのではないかと思っている。
 
クライフの事を語ろうとすれば、このくらいの文章量では足りない。そしてクライフに対して失礼である。またの機会に、何回かに分けて綴りたいと思う。