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『デットマール・クラマー ~日本サッカー改革論』

9月のサッカー本

 

デットマール・クラマー ~日本サッカー改革論』

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著 者 中条一雄

発行所 ベースボール・マガジン社
2008年8月18日発行

「日本サッカーの父」であるデットマール・クラマー氏が他界したと昨日、発表された。享年90歳である。クラマー氏の功績がなければ、現在の日本サッカーがこのような形で存在はしなかったと思う。

2005年、日本サッカー協会内に「日本サッカー殿堂」がつくられた。クラマー氏は掲額者第1号に選ばれている。日本サッカー初の外国人コーチ、そして言葉の魔術師と呼ばれた。

著者は戦後初の欧州日本代表チームに新聞社の特派員として同行し、マネージャー(雑用係)としてチームの仕事を手伝っていた中条一雄氏である。クラマー氏の下でサッカーとは何かを教えられたたくさんの人間が、後の日本サッカーの礎を固めていく。僕らの時代では「ダイアモンドサッカー」で有名な岡野俊一郎は、クラマー氏の来日時には通訳兼運転手だった。
 
サッカーに携わっている者、そしてサッカーを一度でもやってきた者にとっては、それが誰が発した言葉であるかまでは分からないにせよ、必ず耳にした言葉がある。しかし耳にした言葉のほとんどはクラマー氏によるものである。
 
「サッカーは子どもを大人にし、大人を紳士にする」

 一度ならず、何度も耳にし、目にした言葉である。1960年日本代表(総勢22名)が西ドイツ・デュイスブルグのスポルトシューレを訪れた時の言葉である。この言葉には続きがある。
 
「サッカーは子どもを大人にし、大人を紳士にする。ここはサッカーをやるところだけではない。マナーはもちろんハートも大切にする。サッカーは人生の鏡であり教科書である」
 
次に有名な言葉はやはり
 
「試合終了のホイッスルは、次の試合への準備への始まりである」
 
1964年、東京オリンピックの閉会式が終わった翌日の10月25日、東京・目白の椿山荘で行われた「お別れパーティー」でのあいさつの最後に語られたものである。

この本はこのパーティーでのクラマー氏のスピーチ、「日本を去るに当たっての5つの提言」が最後に載っている。この5つの提言を日本サッカー協会はしっかりと実行してきていることが分かる。
 
この本には書かれていないけれど、東京オリンピック1次リーグ、日本-アルゼンチン戦。日本はアルゼンチンに逆転で勝利する。試合終了後、クラマー氏は闘いを終えた選手に言った言葉も(個人的に)名言である。
 
「勝った時に友人は集まる。しかし本当に友人を必要とするのは負けた時である」
 
このように選手に言い残し、アルゼンチンの控室に行ったという逸話もある。余談ではあるけれど、東京オリンピックの日本代表のGKは山梨県出身の保坂司さんである。その息子さんは韮崎高校サッカー部OBである。
さらに余談で、東京オリンピックの5~6位トーナメントで日本代表はユーゴスラビアと対戦し6-1で敗れる。FWで出場していたのが後の日本代表監督であるイビチャ・オシムである。この試合は2得点を挙げている。
 
個人的に興味を魅かれる言葉で、クラマー氏の名言だと思われている言葉がある。しかしその言葉はギリシャ哲学者の詩であり、クラマー氏が発した言葉ではないとこの本には書かれている。なんとなく、クラマー氏の言葉となっている。

Es istder Geist, der sieht. (ものを見るのは魂である)
DasAuge an sich ist Blind. (眼それ自体は盲目である) 
Es istder Geist,der hort. (ものを聞くのは魂である)
DasOhr an sich ist taub. (耳それ自体は聞こえない)
 
いろいろな訳し方がある。
 
物を見るのは精神であり、物を聞くのは精神である。
眼そのものは盲目であり、耳それ自体は聞こえない。
 

ものを見るのは目ではなく心で見ろ
ものを聴くのは耳ではなく心で聴け
目それ自体は物を見るだけであり
耳それ自体は物音を聞くだけである
 
僕がクラマー氏の言葉の中で一番好きな言葉がある。昔のサッカーノートに書いてあったり、若い頃のノートに書いてあったり、今でも何かとこの言葉は身近にある。
 
「グラウンドはサッカーだけをやる所ではない。人間としての修練の場である」
 
改めて良い言葉だなと思う。この言葉を知っているのといないとでは、サッカーに臨む姿勢、サッカーの価値観まで違ってくるのではないかと思う。個人的に「修練」という言葉に魅かれるのではないか。
 
日本サッカーの父と呼ばれるデットマール・クラマー氏の本をこの機会に読むことは必然である。再読をしてみたいと思う。
 
「サッカーには人生のすべてがある。特に男にとって必要なすべてがある」

「ガールハントをし 酒を飲み 煙草も吸いながら 一流のプレーヤーになろうと思っても それは不可能だ。サッカーは 心の教育の場である」