ニラニスタ発・蹴球思案処

蹴辞逍遥・晴蹴雨蹴

『甲府サッカークラブ・ヴァンフォーレ甲府 創立50年の歩み』

8月サッカー本

 

甲府サッカークラブヴァンフォーレ甲府 創立50年の歩み』

f:id:nirasakishikibu:20190809081540j:plain

発行者 ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ、FCK甲府サッカークラブOB会
発行日 2015年6月25日
 
仲間から貴重な本をもらった。
先月、VF甲府の50周年記念パーティーが行われた。そこに出席したサッカー仲間から「お前の気に入りそうな本をもらった」と言われ、早速、頂いた。非売品である。
仲間から譲り受けたこの本をVFKの熱狂的サポに見せてあげると、どうしても欲しいと言われた。先日、韮崎市サンクスデーで小瀬に行き、VFKの韮高の後輩のスタッフにこの本を1冊欲しいと言った。すると後援会ブースで寄付金を500円以上すると、1冊もらえるということだった。
 
この本をじっくりと読み込み、昔の写真を見るだけで、半年分または1年分くらいはこのブログに綴りたい韮高と甲府クラブのことが綴れる。それくらい現在のVF甲府と韮崎高校のつながりは深く、長い。
はっきり言って、この本の中の写真を見ていると、韮高サッカー部OBをクローズアップして作られたのではないかと思うほど、懐かしい顔が出てくる。誰が編集に携わったのかを知りたいくらいである。

f:id:nirasakishikibu:20190809082045j:plain

甲府サッカークラブヴァンフォーレ甲府 創立50年の歩み』なのに、「えっ、なんでこの写真がまるまる1ページを割いているのだろう」と思う(けれどうれしい)。1913~ヴァンフォーレ創立前史を読むと、山梨サッカーの草創は100年前、大正2年から現在に続いている。

f:id:nirasakishikibu:20190809082139j:plain

起点の勇士たち。1965年の写真。1回戦の先発メンバーには錚錚たるメンバーが名を連ねている。ここに恩師の横森巧監督がいるところが、偶然ではない歴史を感じることができる。

f:id:nirasakishikibu:20190809082300j:plain

そして甲府クラブ引退後、韮崎高校の監督をした横森巧監督。教え子の多くが甲府クラブに加入とあるが、その実績は誰もが認めるところだと思う。

f:id:nirasakishikibu:20190809082333j:plain

そして横森監督の教え子が活躍する時代が来る。この本では第3、第4世代となっている。僕らの世代である。
懐かしい外国人選手第1号のモイザス。書いてある通り、横森巧監督の実家に下宿していた。
上3人の写真を見てすぐに誰かが分かるのは、僕らの世代くらいだろうか。
下のイレブンの写真を見て、僕らの世代は全員の選手の名前、またはほとんどの選手の名前が言えるような気がする。韮高OBが半分以上を占めている。
 
懐かしい甲府クラブの赤のユニホームを思い出す。そして緑が丘蹴球場。改めて山梨県民、韮崎市民はサッカー好きなんだなと思う。
 
山梨のサッカー、そしてVF甲府に興味のある方は、コレクションとして本棚に置いておきたい本である。次回のホーム戦でも寄付をすればもらえるかもしれない。