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『ザ・キングファザー』

サッカー本 0109

 

ザ・キングファザー』

著 者 田崎 健太

発行所 カンゼン

2013年6月27日発行

 

カズこと三浦知良、ヤスこと三浦泰年の父、納谷宣雄氏が81歳で死去した。昔から納谷さんと言って遥か高い存在でありながら身近に感じていたので、訃報が入った時には正直驚いた。ご冥福をお祈りすると共に本を紹介する。

 

この『ザ・キングファザー』は、「キング・カズ」と呼ばれるほどに有名になった三浦知良の父、納谷宣雄について書かれた本である。2人の息子(ヤス・カズ)の父親というだけでは、納谷宣雄という人間を語るにはその半分も満たしていない。日本サッカーの貢献に関しては、知る人ぞ知るといった影の存在だった。日本サッカー史に残る仕事、実績を残してきているので、そちらから納谷宣雄という人間を見ることが、本人としてももしかしたら誇り高いかもしれない。

 

複雑すぎる家族環境や生い立ちについては、本を読むことで割愛し、サッカーと深く関わる人生を時系列に列挙する。

 

1966年、日本サッカー協会が、イングランドで開催されるW杯の観戦ツアーに納谷氏が参加したことから始まる。オリンピック出場がW杯出場よりウェイトが置かれていた時代に、W杯を観戦に行くという着眼点と行動力に驚かされる。現地イングランドで、日本代表チームとそのスタッフと合流する。決勝の観戦などそこから後の太いパイプへつながっていく。

 

イングランド大会の記録映画『ゴール』が公開され、そのフィルムを借りてサッカー関係者を巻き込み、自主上映会を始める。

義理父の店を引き継ぎ、そこを日本最初のサッカー専門店「ゴール」を開店させる。静岡高校サッカー部の堀田哲爾とサッカーの普及に努め、人脈を広げていく。

ナイトクラブ「トゥモロー」と開店させ、景気が良い流れだったが、少年団の韓国遠征の帰国時に羽田空港で1回目の逮捕となる。78年には2回目の逮捕。静学に進学した泰年は姓を三浦に変えていて、日本ジュニア代表に選出された時に、納谷宣雄の弟、義郎は刑務所にその写真を送っている。

出所後、ブラジルに渡る。3ヶ月後に知良がブラジルにサッカー留学をする。「ダイヤモンドサッカー」を担当していたのが、高校の同級生だった。ブラジルのサッカーの試合のフィルムを売って、収入を得る。またミサンガを持ち込んだのも、納谷宣雄である。当時は売れに売れたと言わしめる商品だった(当時、僕ももちろん買っていた)。

知良のサッカー留学の評判から、日本全国からブラジルサッカー留学の窓口としてビジネスを始める。また東海一高(現翔洋)にアデミール・サントスを(ビジネスではなく)、導く。

それと同時に、今ではキリンカップとして確固とした大会となった前身の「ジャパンカップ・キリンワールドサッカー」で一流南米クラブの来日に尽力する。それに加え読売クラブにもブラジル人コーチを紹介する。そこから代理人としても活躍することになる。

Jリーグ開幕前は、ヤマハに選手を紹介したり、ベストメンバーのサントスを日本に遠征させることに尽力したり、J開幕前のブラジルセレソン・マスターズを呼び寄せたりと、納谷宣雄がいなかったら実現し得ないことがたくさんある。

 

この先は、サッカーに関してはヤス、カズの歩んできた歴史と重なるので割愛する。いずれにしても、常識の枠をはみ出てしまうとても大きな人間であったと思う。著者の田崎健太氏には、よくもまあこんなとんでもない本を書き上げたものだと感服する。サッカー裏歴史的な匂いが漂う本である。

 

 

僕が勝手に命名した三浦3部作の1冊となる。
他の2冊

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