サッカー本 0112
『ベッケンバウアー自伝』「皇帝」と呼ばれた男
著 者 フランツ・ベッケンバウアー
訳 者 沼尻正之
発行所 中央公論新社
2006年5月25日発行
世界のサッカー界に大きな影響を与えたフランツ・ベッケンバウアーが死去した。ドイツのレジェンドであり、サッカー界最高の選手の1人であるベッケンバウアーに哀悼の意を込めて、ベッケンバウアーの自伝を紹介する。
ベッケンバウアーと言うと、ペレ、クライフに並ぶ世界のスーパースターである。選手、監督としてワールドカップで優勝した偉大な実績があり、西ドイツのベッケンバウアー、アディダスのベッケンバウアーというイメージが、僕の中では強烈に残っている。
この自伝は、サッカー選手・監督が著した自伝の中でも、特に読み応えのある本である。どっしりとしていて重たく、物語的である。ドイツ的というかベッケンバウアー的というか、なんとも固い自伝であり、読み物として耐え得ることができる内容である。サッカー選手・監督の自伝としては、トップに位置することのできる自伝であると思う。
「未来に向かって ――リベロとして生きる」抜粋
ミュンヘンのゼーベナー通りにあるグラウンドで、2つの少年チームが試合をしている。彼らはまだ本当に子どもで、12歳くらいである。片方のチームは、FCバイエルンの少年チームであり、もう片方は、近隣の田舎のチームであった。基本的にはバイエルンはいつでも勝ち、たまに接戦のことがあるぐらいであった。今回もバイエルンは相手を圧倒しており、選手の中には少し手を抜いたり、いいかげんなプレーをする者が現れた。特にその内1人は、味方に指示を送るだけで、自分ではプレーしないと決めているようであった。しかし監督はそうしたことを許さず、彼に向かって叫んだ「もっと走れ!」
その子どもは後ろを振り向き、叫び返した。「お父さんだって、そんなに走らずに、世界チャンピオンになったじゃないか」。
息子のシュテファンもまた・・・・。
私のプレーや私の人生を見てきた人たちは、私がいかにも簡単そうにプレーするところや、何の苦労もなくすべてをこなしてきているように見えるところを見て、よく誤解するのである。
フランツ・ベッケンバウアーのふところには、欲しいものがいつも、向こうから飛び込んでくる、そう思われているかのようである。しかしもちろん、そんなことはない。私が心の中で抑圧し、忘れていた様々なことが、この本を書くという作業の過程で、再び頭の中によみがえってきた。その中には、ほとんど身体で感じた楽しいこともあったが、それだけでなく、痛みやつらい経験をも身体は忘れていなかった。
ベッケンバウアーがいる場所は、いつも上の方であり、そこにはいつも太陽が輝いている。
確かにそういうこともあったかもしれない。しかしいつもではなかった。私は、自分をここまで導いてきた運命に対して、文句を言うつもりはない。しかし、いいことばかりの人生だったわけでもない。また私は確かにサッカーの才能に恵まれていたかもしれないが、しかしそれがすぐに成功に結びつくという保証があったわけでもない。サッカー選手として成功するためには、才能以外にも多くのものが必要であり、それを私は自分の力で勝ち取ったのである。周りの人たちには簡単そうに見えたかもしれないが、私自身は必死であった。多くの人たちは今でも、私が何でもやすやすとこなす男だと思っているようだ。フランツ・ベッケンバウアーは、幸運に恵まれた男だと。
そんなふうに私は生きてきた。確かに私は、多くのものを天から授かった。幸運というのは、学んで手に入るものではない。しかしそれを自分のものにするために、人は学び続けなければならない。そうでなければそれは、思ったよりも価値のないものになってしまうのである。
『強いものが勝つのではない。勝ったものが強いのだ。』
ベッケンバウアーの一番有名な名言が心に沁みる。