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初蹴り 2024

初蹴り 2024

 

韮高サッカー部の初蹴りに参加してきた。

元々、韮高サッカー部には初蹴りという行事はなかった。昭和の時代は毎年、毎年、選手権に出場していたので、選手権の応援席で初顔合わせ、年始のあいさつが行われていた。平成の時代も引き続き初蹴りという発想は薄かった。平成後半になり、全国の選手権の舞台から遠ざかって10年以上、ようやく「新年にボールでも蹴るか」的な発想が芽生えた。現役部員、OBが集まり初蹴りを行うこと自体は、ここ数年のことである。

 

今年の目標を立てた。選手権県代表になること。全国で年末に勝ち抜き、元旦に初蹴りをして、2日の選手権にみんなで応援に行くという目標である。

この目標は達成可能かといえば、意外と難しい。県代表になることはそれほど大した目標ではない。全国で勝ち抜くことこそが最大の大きなミッションである。平成の時代の韮高の全国での戦績は、県代表になっているとはいえ、全国で勝ち抜いていない。

年末の山梨日日新聞に興味深い記事が載っていた。

1996年(平成8年)に大会通算50勝をしてからの韮高の戦績は1勝6敗。5回は初戦負けであり、2004年(平成16年)第83回大会で高知に1勝しただけである。後は、全国出場したものの年末に荷物をまとめて韮崎に戻っている。新しい年になってからの韮高の選手権の勝利はない。選手権で勝ち抜くことはやはり難しいと言わざるを得ない。それでもなお、挑戦しがいのある1年になりそうである。

【参考】

全国高校サッカー・高校別勝利数 (xrea.com)

(韮高の勝利数が山日の記事と1勝違っているけれど、詳しくは調べていない)

 

初蹴りに話を戻すと、たくさんのOBが、ボールを蹴りに母校韮高のグランドに集まった。大先輩との話は実りあるものだった。韮高サッカー部最年長のOBは誰かという話になり、現在も元気で話しがしっかりとできるOBとなるとなかなか名前が上がらなかった。そして初蹴りに来ていた87歳の大先輩が長老ではないかという話でまとまった。歴代監督だったOBが3人来ていて、それぞれの選手権の話を聞くこともできた。現役のサッカー部には頑張って欲しいと切に願う初蹴りだった。

 

 

未来はいくつかの名前を持っている

弱者にとっては「不可能」

臆病者にとっては「不可知」

考え深く勇気のある者にとっては「理想」

ヴィクトル・ユーゴー