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卒業

卒業

 

卒業の季節となった。昨年と同様、またはそれ以上に、コロナウイルスの影響を受けているような気がする。またロシアのウクライナへの侵略という悲しいニュースが世界中に拡がる中での、ひっそりとした卒業となった。

 

今年度の卒業生は、過去10年間を遡った韮高サッカー部の歴史の中でも、特別すぎる特別な事がたくさんあった。

韮高が全国選手権から遠ざかること12年、100回大会の県予選決勝は、韮高がもっとも全国に近づいた試合となった。

卒業生は、かつて韮高サッカー部が強かったというおとぎ話のような逸話しか知らない世代である。そのような世代なので、高校を選択する時に、韮高をサッカーの挑戦の場として選ぶことにためらうことは、想像に難くない。今の卒業生が中3の頃は、韮高は最弱の勝てないチームとなっていたので、憧れより不安の方が大きかったと思える。

そのような時代背景の中、予想通り韮高サッカー部への入部者は19名。1人は女性部員だった。20名を切ることは平成30年間で初の衝撃的出来事であった。平成最後の年から令和つながる韮高サッカー部の先行きのあやしさは格別だった。

あやしい雲行きは、ルーキーリーグで露呈した。初戦の清水桜ケ丘に0-10の殺人的なスコアで敗れた。韮高サッカー部の緩やかに右肩下がりの下降線は加速した。

悲惨な状況の1年生であっても、チーム全体としては、令和の時代になったからなのか良い結果が続いた。県総体で学院、帝三、航空を倒しての優勝。関東大会では決勝まで勝ち進んだ。勢いは続き、インターハイでは学院、航空と倒して県代表となった。

入部してから7月まで県内では負けなし、公式戦敗戦は関東大会決勝での國學院久我山戦だけである。前年インターハイ優勝校の山梨学院を2回も倒す韮高を目にして、自らを奮い立たせたのではないかと思える。韮高を選んで良かったと思える瞬間だったと思える。

 

7月の武田の里サッカーフェスティバルで、初めて1年生の試合を観た。怪我人もいて交代選手もいないベンチだったので、史上初全敗の4位リーグとなった。1勝しかできない悲惨な状況だった。

8月の1年生大会では、別のチームになったかのような、驚異的な粘り強さを見せ優勝。良い刺激が良い結果を生み出した。

選手権では県内初敗戦を目にしたものの、2月の新人戦では学院を破り優勝した。この試合を最後に、スタンドで声を出して選手に声援を送ることができなくなってしまった。

コロナウイルスの影響で県総体、インターハイが中止。公式戦唯一の選手権では、昨年の夢のような快進撃はなく自滅。瞬く間に自分たちの時代となった。そして山梨学院が選手権で全国制覇を成し遂げ、知名度と威圧度はマックスだった。

 

1年生大会優勝という飾りはあったものの、新人戦はあえなく4位に終わった。特別な事と言えば、監督が交代したことである。コロナの影響で思うようなトレーニングはできなかったけれど、新しい歴史を造り上げていった。

新監督になった韮高は、選手のポテンシャルが一気に開花し、チームとして確実に成長した。県総体では決勝までギリギリ勝ちあがった。選手権優勝の学院の前に0-2で敗れたとはいえ、その差は全く感じられなかった。山梨開催の関東大会も自分たちが1年生の頃と同じく、決勝まで勝ち進んだ。

インターハイもしぶとく決勝まで勝ち上がった。けれど帝京三にあと一歩のところで敗れた。

100回の記念すべき選手権大会は、韮高はこれまでの実績の積み重ねから優勝しても不思議はない存在だった。細かいところを見れば隙だらけだったけれど、総体的には一枚岩で盤石だった。

期待通り決勝までたどり着いた。そして学院から先制点を奪い、韮高は選手権にはてしなく近づいた。過去12年でもっとも全国に近づいた瞬間は、ほんのちょっとの時間だった。インターハイであと1歩、選手権であと半歩だった。

 

確実に言えることは、1年生の頃の韮高の快進撃、2年生の頃のコロナがあっての3年での結果である。良い影響も悪い影響も受けた3年間であった。本当に特別なことがたくさんあった世代だった。韮高でサッカーを志そうとするたくさんの選手にも良い影響を与えることができた。

 

表に出てこない苦しみや努力がそこにはある。結果はそう簡単には出ない。高校3年間での達成感より、くやしさが先に込み上げる世代だった。後悔というより次につながるくやしさである。目に見える華やかな結果は残せなかったけれど、目に見えない多くのものを感じ、蓄えることができた3年間だったように思う。

 

 

は無常」というは、決して真理の前面を言い表したことではないと思う。もっともこの言葉の中には、真理も含まれておるであろうが、それは真理の四分とおりで、六分はやはり有情の世であると信ず。ゆえに逆境に陥りながらも、なおかつその全力をふるって努力する者は、早晩逆境より浮かび出ずると思う。重荷を負うてなおかつこれを忍ぶものは、世が必ずどこかでこれを認める。

新渡戸稲造