ニラニスタ発・蹴球思案処

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「学ぶ」ということ

「学ぶ」ということ

 

選手権予選を真近に控えたリーグ戦で、見事に2連敗という記録を樹立した現在、0-1からの試合の流れから、何かを学んだのだろうか。試合後に敗戦から何かを学んだのだろうか。学び方を学んでいる時期ではないので、そのようなレベルの低い話ではなく、最後の大会で起こりうるシチュエーションに対して、どのような気持ちの持ち方をするのか、リスクを背負ってのチャレンジをどこでどうするのかを、2試合から学んだのかが重要なことである。学ばないから何をすればいいか分からないだけで、学ぶことができれば、おのずと何をすればいいかが分かるはずである。

「学ぶことで才能は開花する」諸葛孔明が説くように(この言葉の前後にも学ぶべき価値のあることがあるので、学びたい方は調べて欲しい)、学ぶという姿勢が大切であるし、学ぶという行為は本来人間が持つ誇るべき特性であり、おそらく人間は学ぶ生き物だと思える。

 

先日、早稲田大学内にある村上春樹ライブラリーに足を運んだ。入り口を入って一番目に目に留まる展示物があり、そこに書かれていることが趣深い。

息をするのと同じように

 学校に通っている頃は、自分は勉学をすることに向いていないと考えていたのですが、大学を卒業してしばらくしてから、「僕は実は学ぶのが好きだったんだ」ということにあらためて気づきました。

 学ぶというのは本来、呼吸をするのと同じです。教室の中であれ、外であれ、僕らは息をするのと同じように、日々多くのものごとを自然に、当たり前に学び取っています。

 

村上春樹が言うように、学ぶということは呼吸をすることと同じであるのだろう。高校生活でのサッカーを通して、多くの学びがある。その学びは大切な人間形成につながる。学んだことをどのように形にしていくかが、サッカーの試合では問われる。形にするということは、その先には(良くも悪くも)結果が待っている。まずは目の前の試合を良い形にすることで、少しずつだけど良い結果に近づくことができるのではないかと思う。残された試合に期待する。まだまだやることがあり、やり残したこともあり、もっともっとやらなければならず、やりきらなければならない。そしてやれるはずである。