ニラニスタ発・蹴球思案処

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いよいよ

いよいよ

 

9月12日までのまん延防止等重点措置の対象が山梨県に適用されている。首をかしげたくなるようなたくさんの規制がある。サッカー界全体でも多くの負の影響を受けている。

その一方で、サッカーの母国イングランドでは、入場制限が撤廃となった。プレミアリーグが開幕し、アンフィールドは超満員の5万人を超えるサポーターがスタジアムに足を運んだ。

「この違いは何なんだ」とサッカーのレベルと同様、サッカーの文化レベルも大きな差があることを思い知らされる。

このような現実の中で、村上春樹が最近のラジオ番組の中で、メッセージを発した。

「さて、現実には、なかなか出口が見えて来ない状況ですが、僕らは今、ここにあるものを何とか目いっぱい活用して、本当に出口が見えてくるまで、うまく生き延びてやっていくしかありません。音楽でも、猫でも、冷たいビールでも、心のねじくれたコーヒーでも、何でも、あなたの好きなものを、うまく活用して下さい」と村上春樹は語っている。

 

9月3日にはいよいよ、記念すべき100回大会の選手権の県予選の抽選が行われる。いよいよである。おそらく、どの高校も大きな差はほとんどないと言っていい。チームとしての集団活動が規制された中でのレベルアップは「個」にかかっている。高校生活最後の大会、選手権への想いはどの高校、どの選手も強い。そこで必要になる違いを生み出す差とは何かと考えた時、サッカー以外のものが大きく関わってくると思われる。

 

村上春樹が今年春の早稲田大学の学部の入学式で祝辞を述べた。その中の言葉が、選手権に臨む選手たちには助言となるのではないかと思う。

 

「心を語る」というのは簡単そうで、難しいんです。僕らが普段、「これは自分の心だ」と思っているものは、僕らの心の全体のうちのほんの一部分に過ぎないからです。つまり、僕らの「意識」というのは、心という池からくみ上げられたバケツ一杯の水みたいなものに過ぎないんです。残りの領域は、あとは手つかずで、未知の領域として残されています。僕らを本当に動かしていくのは、その残された方の心なんです。意識や論理じゃなく、もっと広い、大きい心です。

 

【祝辞全文】

 村上春樹さん 早稲田大学入学式で祝辞!!【村上春樹研究所】 (haruki-m.com)

 

「選手権に絶対に出場する」「選手権で優勝する」という意識は、サッカーに全力で取り組む選手たちの全てであるようで全てではない。日本全国の選手達はそのような意識を持っている。同じ意識を持った同士がその座を奪いあう。「選手権」の想いが強い方が勝つのではない。バケツ一杯の「選手権」という意識の残りの領域の意識が、違いを生み出す。

100回大会という特別な大会であるが故、気持ちが強い者だけが勝てるというのは、甘い考えである。サッカーだけが強いだけでも成し遂げられない。サッカーを取りまく多くのものが複雑に絡み合い、大切でないようで大切なものが存在する。運やひらめきや匂いを感じることは、村上春樹の言う「残された領域」に気付くことができた選手であり、高校である。